な緊張のなかに置かれて(心理的にも)今、こうやって体のために仕事を中絶までしていると云うことは、決して単なるめぐりあわせではありません。
 スエコが目下開催中の明治名作展を見て来て、其処にあるものは、絵にしろ、彫刻にしろ、この頃出来のものとはまるで違って、観ても見あきず、時間をかけてみればみる程値うちが迫って来ると云う話をきき、初めて自分の外出出来ないことや、物のみられないことが口惜しく思えました。そこの事よ、ね。その奥行きとこく[#「こく」に傍点]とは何から出るでしょう。作者が自身のテーマに全幅の力を傾け尽し、何処にもはしょらずテーマの要求する時間の一杯を余さず注ぎこんでいるからこそで、一寸した絵ハガキを見ても当時の人がテーマと題材に就てどんなに真面目に考えて居たか、一つも思いつきではなくて追求の結果であると云うことを明瞭に感じます。スエコが日参するねうちがあると云ったが、それは本当でしょう。性根に水を浴せられる処があるに違いない。二十八日で終ってしまいました。
 絵描きでも作家でも注文としめ切りがなくて、チャンチャン毎日何かを造り出してゆくようになれば、恐るべきです。名作展をみても
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