今はそれならどんなでしょう? 手紙をかくのが唯一の執筆だというとき。やっぱりブランカらしくのぼせて早口でしょうか、あぶないものね、又何年か経て見たら上々でもないと、我から乙をつけるでしょうか、それが成長の証拠ともさすがに申しかねます。
 手紙については面白いことを考えます、というより発見します。わたしは十六の時から、1930 までずっと日記かきました。
 その後かかなくなって又書こうかと折々思いながら書かないのは何故かと考えてみたら、私が日記にかきたいようなことは能う限りの率直さでつまりはみんな手紙にかいてしまうのね、だから日記はダブッテもうかかないということになってしまいます。何か心に目立つものをうけとれば、いつも手紙に書いてしまうのですものね。日常のこと、文学上のこと、そして、計らずもこれは日記をつける以上に有益なのかも知れません。何故なら日記はひとり合点承知の上。手紙は手紙ですものね。その上日記にはしない表現の上での積極が加ってもいて。だからもしかしたら手紙を私はよほど大切に思って書いてよいのかもしれないわ、心持の上での大切さと同じくらい文学上の大切さを自覚して。しかし、そんな
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