一局面からだけ云われるのね。特に小さい人々の側からいう時。芸術家の時代の相違のみならず、バルザックよりはレンブラントが上です。フーシェ伝(ツワイク)をよむと、バルザックの世界の渾沌雄大醜悪可憐は即ちあの時代のものであったと思います。バルザックは芸術家として根本の態度に、真似ては今日の作家が迷路に入る要素があるが、レンブラントの態度は、時代の叡智に掘りぬける本質のものです。
イタリーが盲爆で多くの古典美術を失いました。それらは世界の宝でした。惜しいことは実に惜しい。けれども明日のイタリーの人たちのためには果してどうでしょう。イタリーは過去の栄光が巨大すぎ、食いつくせない遺産の上に立って居て、ルネサンス以降現代迄が芸術上新しい宝を生む力を萎靡させていた大きな衰弱を自覚しませんでした。一九四一年に又もやレオナルド展が世界巡業を行ったことは、不滅というよりも「さまよえるダッチマン」のオペラ式で、おおレオナルドをして安らかに眠らしめよと、シェークスピアなら科白にかくべきところでした。多くのものが失われ、それを灰燼に帰した暴力は世紀の恥辱ですが、イタリーそのものについては、あんまりたっぷりした祖
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