るわけでしたと思います。「カテキズム」ですから話にのぼった作品の箇所へでもゆけば誰のかいたどういうものかと思うような字句であったろうと思います。検事が私の病気を知ったときすぐ執行停止にするからもうゆっくり静養しろということだったそうです。この検事はどこかの軍政官に転じ、本庁の係だった河野という人も南方へ行ったとかいうことです。それきりでずっと何の沙汰もなく、臨床の訊問もなく、検事拘留一ヵ年の一月が過ぎ、二月下旬に駒込の特高の人が来た時、私は自分がどうなっているのか判らないけれどもと質《たず》ねたら、もうこのままでいいんでしょうということでした。旅行に出るなら自分の方へ一寸知らせてくれればそれでよろしいとのことでした。検事局へ届けたり何かは不要とのことでしたから、これで一応落着し手を切れたものと理解しているわけです。
忌憚にふれるものを強いてかこうともしているわけでなし、私がものを書いてゆくことは原則としていけないというわけではないのです。『茂吉ノート』は著者が同じ頃からいろいろとごたついた最中に出版されたのですし、本年に入って新版を出しました。自分としては社会時評や女性生活問題はむずかしいから、古典作品の研究、たとえば明治以来の婦人作家研究をもっとさかのぼり、それをまとめたりする仕事はよいだろうし、文学美術に関する随想はいいのでしょうし、小説は今度も一つも問題になったのはないのですから、小説も段々かきたいし、と考えているわけです。経済的な点で、勿論書くもので儲かろうとは思えず、出版部数も多くはなく不便はつづくでしょうが、全く可能のないものとしなくてもいいのではないでしょうか。隆々と活動するというアブノーマルなことを考えず、芸術の領野で地味に手がたく勉強して、それがいくらかの収入にもなるということはあり得るでしょうと考えますがどうでしょう。そういう風に考えて行って作家としては自然でないでしょうか。ろれつ[#「ろれつ」に傍点]がよくまわらないから大勢の人前で喋ったり坐談会などは本当に不可能ですし、あれこれの旅行も不可能なのですし。もっとも、そろそろ書けるようになったとき、又何がどうなって来るか、それによってどんなに状況が変るかはそのときのことですが。
私の養生ぶりがしゃんとしていなかったということ、そして話とちがったというところ、悲しく、何度もくり返し拝見しました。
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