見られる人が船のりでありましょう。操縦されはじめると、人間も本質的には終りね。秀吉だって若いときはそうでもなかったでしょうが、老年になって螢《ホタル》が泣《鳴》く歌をよんだら、そろり新左が、螢が鳴いたということは天下にないとがんばって、すこしけんかめいて来たら、細川幽斎が、雨が降って鳴く虫は一つもいないのに螢ばかりが鳴いている、という古歌をもち出して、「されば螢も鳴くと見えます」などと云って操縦しました。それできげんを直すほどヤキがまわったから、あの始末ね。この話は、細川幽斎という人物を私たちにきらわせます。細川という殿様はこういう処世術をあの時代に珍しい学問にからめて持ち合わせていて、大大名として今も一番の金持華族です。細川といううちは政治に手を出さないのが慣わしの由。日本の美術蒐集では圧巻でしょう。春草の「落葉」は護立侯所蔵ですし。
きのう、ふと活字が大きいのにひかされて谷崎の「盲目物語」をよみました。覚えていらっしゃるでしょうか、昭和七年頃。横とじの、吉野の手すき紙で装幀して横帙に入れた本よ。小谷の方と淀君の少女時代につかえた盲目の按摩、遊芸の上手が、信長の妹お市が、浅井長政の妻となり、兄の裏切りで良人を攻めほろぼされ、息子をころされ、清洲城にこもって十年暮したあと、本能寺の変後、柴田の妻となり、恋仇の秀吉に攻められ、娘三人(お茶々を入れて)を秀吉方へつかわして、自分は一年足らずつれそった勝家と城の天守で自尽するいきさつ。お茶々の短い後日譚を、おちぶれて宿場按摩になっているその男が物語った体です。
谷崎らしく盲目の男の、美女である小谷の方とお茶々への感覚を絡めたり、当時流行の隆達節の考証をはさんだり、ともかく面白くよませました。しかしこうしてみると、谷崎の文学はもろいものですね。荷風の方が彼なりに粘っています。例えば例の「つゆのあとさき」、ね。あんなものにしろ、ともかく現代の、ああいう女給やそのひも[#「ひも」に傍点]の生活を見て、描写してかいています。「※[#「さんずい+墨」第3水準1−87−25]東綺譚」にしろ、冷やかで、独善で、すかないが、谷崎のように高野山あたりでのんきに納って、狐つきの話なんか、十年前に書いては居りません。
谷崎のもろさは文学的に面白いことね、彼の文学上の下らない安易さ、もろさは彼の所謂悪魔主義が、この国の文化の性質らしく、ある
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