ンスの分裂と堕落がよくわかり、ロベスピエールという偏執的潔癖家が、大なる新しい力を余り観念的に純潔に守ろうとしてギロチンにばかりたよって、逆に急速にリアクションを助成し、それに乗じてフーシェがロベスピエールの首をおっことしてしまうところ、なかなか大した歴史の景観です。ロベスピエールたちは議論議論で、しかも大した観念論でやっていたのね。フーシェはそういう弱点にうまくつけ入った男です。裏切ったが、自分のために、ツワイクの云い方ですればバクチの情熱のために冷血なので、自分が安穏にはした金で飼われるのが目的ではなく、同じ無節操の標本であるナポレオン時代の外務大臣タレイランが享楽を窮局の目的としたのとは又違う姿がよく描かれています。
 そして、私に又多くのことを考えさせるのは、著者ツワイクのこういう人物の見かたです。なかなかよく客観的に見ているのですが、しかしツワイクはフーシェのような人物の存在し得た時代の本質については、決して十分把握して居りません。ロベスピエールのような男、卓抜な男が、何故当時にあっていつも大言壮語美辞を並べ、武器としてはギロチンしかなかったか、それで通用ししかも其に倦きた当時のフランスの大変動の歴史的本質。そこにこそフーシェはつけこめたのであるという、存在の可能の意味を明かにしていません。それよりもう一皮二皮上の、人間の時代的関係、めりはり、利害の上にフーシェの存在の可能をおいて居ります。これは著者にとって致命的な点です。何故なら、ツワイクは夫婦で自殺したのですから。二三年前。あれほどの歴史家、評伝家が、どうして今世紀におけるオーストリアの運命や自分に向けられる非人間的強力やについて、史的達観をもち得なかったかということは、おそらく世界中の彼の読者の遺憾とするところでしょう。その内部の原因を知りたいと思って居りました。
「アントワネット」は大戦中にかかれ、「フーシェ」は一九二九年ザルツブルグで書かれて居ます。序文にツワイクは、一九一四――一八年の大戦も「理性と責任から行われたものでなくて甚だいかがわしい性格と悟性しかもたない黒幕的人物の手によってなされたのである」そういう賭博に対し自己防衛のためにもフーシェのような歴史的黒幕人物、所謂外交家の見本を心理学的生物学として研究しておく意味があると云って居ります。バルザックが彼の小説で、英雄的情熱も陋劣と云われ
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