もう下弦になりました。二十日から二十三四日迄毎晩明月で二階の東の窓から高いさいかちの黒い梢と屋根屋根がその光に照されていました。私は窓を開け、月光を一杯に差込ませて、然し寒いから境の襖を閉めておくと、注ぎ込む月の光は、音にたつような感じでした。
そう感じながら、こちらで坐っていると、光の音と心の内にある声とが互に溶けあって私はもう黙っていることが出来ず、電気の下でザラ紙の帳面と軟い鉛筆とを持出します。5Bの鉛筆はだいぶもう短くなったわ。大事にすっかり短くなっても、それを捨てずに持っているのは、楽しい処のあるものです。二十三日の晩は風がありましたね。夕方から夜になりかける頃、ガラス戸がなる位だったけれども、十時頃になったらば、風は落ちて、さえた月の下に、枯れた木の枝々が美しく見えました。
そちらでは高いガラス窓から月の光が差す時分、どんな景色が見えるでしょう。私は杉の木や、ひよっ子や、芝を見ました。
二、三日前、古い反古《ほご》を整理したら、(抽出しの棚を又出して机の横に置こうと思って。)シャバンヌの女を描いた絵の葉書が出て来てよくみると、なかなか面白いものでした。背の高い肘掛椅子に裸の女が、その高い背にのんびり二つの脚をのばしてかけ、片方の肘掛に頭をのせ、片手を自然もう一方の肘掛にのせてくつろいでいる構図のデッサンですが、いかにもシャバンヌらしく、清楚で、よけいな男の感覚が付きまとっていなくて心持がいいものです。
国男さんがお歳暮をくれたので、到ってわずかな物ながら何か残る物をと思って、心がけていて、日頃ごひいきのドガの踊子のデッサンと額ぶちを買い、今それが一間の壁にかかっています。いかにも創作的な活力と、眼光とが漲っている作品で、部屋中が確りと落着いて来ました。私は本当にドガが好きよ。すえ子も。この部屋が初めは全く病室風で、それがだんだん居間らしくなり、さてこの頃は居間であるが、ただの居間ではないと云う処が出来てきて、この変化を興味あることに思います。
近頃、本が読みたくなって、それを読まずに来月一杯は暮そうと思うから、何とか気紛しが必要で、いくらか集注する必要もあり、将棋でもやろうかと思いますが、生憎なことにお師匠さんがそちらにいらっしゃるから困ったものです。幾何をやろうかと思ったら国男さん曰く、「姉さん、そりゃあ頭を使い過ぎるよ。」おまけに唯一の相手
前へ
次へ
全220ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング