おちるようないやな思いをしたとき、太郎の心の柔らかな少年らしさは私に励しとなります。寿もわるくはないのに、病人の心理というものを肯定しすぎているし、そこから自分の世界を区切りつけすぎるし、そういうことを生活力の人並より大きいところでかためるからなかなかむずかしいと思います。生活的に大したお嬢さんで、それが昨今の時勢に押され万事不如意ですから、感じとりかたが大仰で、あっさりしなくて(物の無さなど)苦しいところがあります、はたも自分も。私はしんから気の毒よ。いろいろ。女として。
感情の大きくつよい女が、愛情の目標もなく暮すのはよくないわ。寿は、ああいう押し出しで、ひよひよの男は、先ず俺の財布じゃと僻易させてしまうし、性格的に面白いと思われ、それから先になると二の足となるのよ、健康のこともあるし。寿自身臆病です。暮せるように暮して行こうというあっさりした人本位のところがなく、頭が細かすぎるのか計算が多すぎ、計算したら歩み出せる人生ではないのですしね、土台。何とかして健康とバランスとって仕事をまとめてくれるといいと思います。そうすれば、それが一定の高さとなれば又別の丘へ出て、そこでは又別の人間が生活しているでしょう。結婚生活の形態はきまったものだし、すこし別の形態にやるためには厖大な経済力がいるし、そういう人は、うちの経済力なんか問題にせず、それを突破して井上園子のように、幸福そうな不幸に陥るためには寿は花形[#「花形」に傍点]でありません。虚栄心を満足させる令夫人よりは骨がある女ですし。私は自分が女としてもっている何よりの幸福の自覚があるから、寿のいろいろの心理に却って高びしゃに出られないのよ。姉としていつも女というもっとひろく、痛切な地盤に出てしまうものだから。丈夫で、少くとも恢復する病気で、こういう結婚生活していて、それは皮肉になりようもないでしょう、という気分が顔を打って来ますから。でも、それでは寿の不幸になるのですが。今は国が病気で留守しているので、寿の気分も状況に対してすらりとしていて、皆が国府津へ行っていたときより楽です。国府津へなんか大したこともないのに大騒ぎして行ったり来たりやって、病人の自分が家の用事で疲らされるなんて、ということから全く神経質となり、えらかったけれど。病人にとって楽でない日常になって来ていることは事実です。一つの家の屋根の下に、こんな
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