身[#「片身」に「ママ」の注記]のせまいようなものにだけたよらないで。
 まあざっとこんな工合です。太郎との物語は別に書きます。別に書かなくてはならない話や物語はまだどっさりあるわけです、第一に詩物語があります。泉の物語もあります。心持のよい、血液循環が快く速くなって、優さで心が和らげられ、生きているよろこびが無垢に面をうつようなそんな詩物語を見つけ出したいものですね。人間に歌があり、それはシューマンのようにも複雑となり精神にしみ透るものとなるというのは何と素晴らしい人間らしさでしょう、だって獣は実に微妙なニュアンスをもって生の様々の様相をつたえます、人間より直観的に。しかしそれは歌にはならないわ。人間は深く、つよく、生きる美しさを、美しさとして永遠化す力をもっているのですものね、人間が万物の霊長だというなら、それは芸術と科学をもち得ているからだと思います。

 七月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月六日
 日光書院のこと先方の間違いと判明。『独語文化』五月からお送りするようにしました。
 私の方の用事は、大過去から過去となりやっと現在体となりました。多分これから本についての物語となるのでしょう。例年になく涼しいので大助りして居ります、作物は心配だけれども。これは大助りというにはいろいろ理由があって、そのすこしは幅も心の平静もあるひとが高文にパスしました。私のような人間におそらく分らないほど意味あることらしくて、やがて窓口は変りもうこちゃこちゃしたところへは出て来ないようなことになるらしい風です。偶然つぎ目のようなところで私は息のつける応答をしているわけになり、終りまではこれで通したいと思います。ジリジリあつければやはり続けかねるから涼しくて仕合わせというわけなのです。こういう程度のひとは一ヵ年一つところにいるかいないかですものね。窓口の大さにふさわしい精神の窓口しか幅もひろがりも理解力も小さい頭が又そのあとに坐るのでしょう。見ていると、人間の生活というものは其々の場所で、すこしおやと思うものは、きっと何かそれだけの変化を示すから妙です。
 国男はドンドンよくてスープをのみ、おかゆをたべして居ります。家中無事。私はきのうすこし骨を折り(月)きょうはおこもりです二階へ。
 太郎との話。これは私にとって大変興味があります。
 ここへ暮すようにな
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