とかやりくって行きましょうね、六月になると、うちの女史は東京と田舎とちゃんぽんに暮すのですって。夏どこへ行くか、なかなか決定出来ません、食物のことがあり、身のまわりのことがあり。まだ自分で洗濯など出来難いから夏こむとき宿やに一人いたりしたら不自由かとも思うの。開成山は猛烈に眩しいところなのよ、開いた地平線の遠い高みに建っていますから。多分信州の上林へでも行くのでしょう、ここは樹木が多く、木下道があり、高燥で、木賃宿のようなうちの人たちは余り不親切でもありませんから。やっぱり本がよめなかったりすると、全く知った人のいない宿やへぽつんと一人でなんか行きたくないものなのね、それは追々具体的にきまって来るでしょう。
好ちゃんの話、本当にあの子を泳がせてみたいと思います。まだ私がよく抱いた時から男の児の中の男の児という精彩にみちた風で、雄渾という資質だったから追々成人し、どんな美事に波をくぐり、水にもまれ、そして快よさそうに濤に浮んで、のびのびと手足をのばすことでしょう。やはり海辺そだちは違うのね、あの子が海を好くばかりか、見ていると、海はあの子がしなやかにきめこまかな体の線を張って、いのちの箭《や》のように波間にくぐり貫いて行くのを、よろこびだきとるようで、一層嬉々と波だち光り、体を丈夫にする塩のふくまれたゆたかな水圧で、あの子の体を軽くしめつけるようでした。海と遊ぶというのはああいう泳ぎ方の出来るのを見たときの言葉ですね、ひとしきり縦横に活躍して、砂地に上って来たときの好ちゃんが濡れ燦き、美しい海のしずくのしたたる手肢で、いくらかぽーとしたように暫く砂に休んでいる様子も面白く愛らしかったでしょう? あの子はそうして休むと又一しお泳ぐ面白さにひき入れられた風で一層ふかく身をおどらして行ったことね。
一遍ああいう胸もすくような男の児ぶりになってみたいとよく思ったものでした。胸のすくような、という子は見かけないものね、この頃は特にそうね、子供のスケールが変に小さくなっていて。
小さい人という溌溂として天真で、真面目なのが少いわ。大人の小形よ。合言葉でつまっていて。大人をおどろかせる子供の新鮮さというものの価値はもっと尊重され、純粋に保たるべきです。そういう点でも好ちゃんはユニークよ。皮膚の荒い人に精神の精緻な人はない、ということを昔から云いますが、それは本当かもしれないわ
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