ことはないというわけですから。今みえないのは、まだ眼底に充血が残っていて、細胞の間に漿液のようなものがしみ出しているのだそうで、それを吸収させるために新しくヨードカリを主にした薬を段々量を増しながら飲んでみることになりました。Bの注射は元通りです。少しよくなるまでにも数ヵ月はかかる見込みだそうです。
 一昨日お医者が来て、今の私の神経の疲れ工合、恢復の調子からみて少くとも一年は静養しなければならないと始めてはっきり言われました。いきなりそういうと私が失望すると思っていらしたのでしょうね。たびたび会って私が長いのを自分でも充分わかってきていることが知れて、始めて口に出されたのでしょう。眼も全体がよくなればよいとわかれば悠々たるものです。大事な手紙が三日宙に迷ってもそれは我慢も致しましょう。何しろこの不随状態の人々の中で生活していれば。シャボン昨日お送りしました。『微生物を追う人々』と『支那イソップ物語』二三日内にお送り致します。イソップはどうもみつからないらしいのです。今も探してもらいましたけれど、二階に上れないものだから。それに引越をしてゴタついたままのところを更にゴタついたもので。
 島田へ送った『栄養読本』のことは、今葉書で聞き合せました。十二日にはきっと着いていたと思いますが、いつぞやのお手紙にあった通り病気にならない人達は、「ハハアこんな本が来たわい、友子さん読んでおおき」「ハイ」という位のことで、それがどんな大きい意味を含んでいるかなどということは、あまり頓着しないのでしょう。人間の健全さと愚さとが、こういう場合にも私たちの生活にない合されていて、面白いものです。私だって丈夫ならやっぱりその口ですから。
 小説の技術のことは、大変興味ある問題で、芥川龍之介はスタイルが文学を古典として残すか否かに決定的な力を持っていると言ったとか言って、野上彌生子さんは専らスタイルの完成を心がけられるようです。このことはもっとどっさりのおしゃべりを誘い出しますが、三枚以上続けるなんていうことは、あんまりこわいから。これでおやめ、改めてまた。

 九月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 田辺至筆「秋の戦場ヶ原」(一)[#「(一)」は縦中横]と有島生馬筆「霧嶋連山遠望」(二)[#「(二)」は縦中横]の絵はがき)〕

 (一)[#「(一)」は縦中横]二十日。ヨード・
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