の目も合わさず私を生かそうと努力しつづけた人々のお蔭で、命が保たれて、今日、自覚した生活へつなぎ続けられていると云うのは、何と不思議な気持がすることでしょう。自分の知らない自分のことが、人から話されることで、初めて自分の生活の物となる、と云うことも何と奇妙でしょう。心理学的に、色々と面白いことがあります。例えば、私が、暑くなると夢中で団扇を使ったと聞いていて、それは団扇を手に持ってはいたのだろうと思っていた処、団扇はとても持つどころか、空手《からて》を団扇を持った形にして、あおいで、時には、ぐるりで皆があおいでいる、その風の動きと合ったリズムで無意識にあおぐ真似をしていたのだそうです。反射神経が、そう云う風に生きつづけ、今のように、精神の作用がある程度まで、戻ると、植物的神経などと云うものが、蒙った損害からいつ迄も恢復出来ないで居ると云うような生理のいきさつは、とても自分でも驚きます。
 昨日、みんなでハァハァと笑ったことですが、あなたは愛妻の身の上にそんなとんでもないことが起ると云う虫の知らせをお感じになりましたか? 昔小さかった時「虫が泣かすんじゃあ」と泣いた人は、成長して、虫は余り敏感に作用しなくなったかどうかと云うことを話して、大笑いしました。私の方はあんまり急で、云ってみれば、虫を派遣する暇が無かったのですからあしからず。お化けになる支度をするひまさえありませんでした。
 二十八日付のお手紙、これは結局、国男さんに読んでもらいましたが、字がいくらか大きかったものだから、何だかよめそうな気がして、おおいに目玉を動かしました。
 宛名を力作と評価して下さったことは、うれしいと思います。全く力作で、当分もうあれはくり返せません。午後中、よく目が見えなくなったから。
 本に就ては、葉書で申上げました。小野寺十内の和歌は初めて知りました。昔の人は、そう云う場合の感情さえ、こう云う一見淡彩な表現の内に、語ったのですね。あなたのお手紙の内に、歌の出た始めてですから、特別な感じです。今日は、もっと歌の話、その他を、どっさりするつもりで、意気込んで机に肘をつき、耳たぼを引っ張って居りましたが、紙は、何とじき一杯になることでしょう。それに、もうスエコがお風呂に入らなければ、何人かが困ると云う場合に立ち至って、残りは、別便になってしまいました。では一と先ず、これで。

 八月三
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