ることが、服装から、身ごなしから、音楽に溢れて表われていました。例によって、有島生馬が、老いたる瀟洒さで出現してきいていたが、彼はあれを何と判断したでしょう。下手とちがうのよ。いやな気がするのよ。そして、女だということは一層ものを哀れにして、ごく胸を低くカットしたイヴニングで、十九世紀の悪趣味よろしく胸の二つのもりあがりをのぞかせたりして。そして、あんなひどくひくの。
 本当に音楽がすきというのではないのね。所謂世界的舞台でスポイルされたために、現代の混乱で、そういう道具立てがなくなると、妙に張りがなくなって、日本の本当のレベルがわからないもんだから、がったりひどくなってしまうのでしょう。井上園子だって金持すぎて名流すぎて、彼女の音楽はいつも社交性と手をつらねている危険がありますが、音楽は勉強しなければならないもの、というところは分っているようです。諏訪根自子はベルリンだそうです。音楽に国境がないばかりか、ベルリンではさぞ自由にやっていられるのでしょう。この若い女性もそういうことでは抽象的音楽天才ですから、当然。
 外国と云えば、これからは、外国郵便は、発信人の住所氏名を明記して、切手
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