、そういういい手本が伝統の中にあるから、実に勉強だそうです。仕事着からネマキ、ネマキから仕事着で(それで又相当どこでも通用するが)ピカソなんかでも実に仕事するのですって。或る日本の画家がじゃ一つ俺もまねてやれと思って、在仏日本人の評判にされる程がんばったのだそうですが、二年でつづかなくなったって。体力のこともある。けれども情熱の問題もあると書いていて、見栄坊ぞろいの画家としてはよく率直に語っていると思いました。
こういう話をよむと、龍之介の「地獄変」を思い出すの。あの画家は、娘を火の中に投じるヒロイズム至上主義はわかるし、作家はその面でかいているけれど、そこに何か日本の芸術至上主義の体質があらわれているようです。そのフランスのことを書いた画家は、体力というが、体の小さい日本人は戦いにつよいとかいていて、つよいのは本当だが、どういうときどうつよいかが本質の問題であるように、芸術の上の情熱もそこにかかっているわけでしょう。(つまりこんな風に、その本のなかでも話してゆくことになるでしょうと思います)
二十六日の日曜日にはね、世田ヶ谷へお出かけです。十七日が防空演習でのびて、その日になりま
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