じるのね。稲ちゃんの奉公旅行からかえっての話で、考えました。そこには原形にかえされた男らしさや女らしさが見られるのでしょうか。
芸術の仕事をする男が男らしくないというのは全く笑止なことね。これは北條民雄の癩とのたたかいをかいた文学について川端が生命のぎりぎりの感覚として称讚したときも、私の感じたことでした。
この人たちは、生きてゆく、丈夫で生きてゆく日々がいかに充実し緊張したものであるかを感じないぐらいのびているのだナと。そういう生命の緊張、生命の意味への絶えざる自覚なしに生きていると、アブノーマルな条件でなければ生命感を感じないセンチメンタリズムが出来る。
文学は何と強い高い美しいものでしょう、でもその裾には何というごみもひきずっているでしょう。
健全に行動する機会がないと、只、行動そのものに妙な評価をはじめもするのですね。
そう云えば、こんどの本には行動と思索とのいきさつも扱って見るつもりです、どんな作品がいいか分らないがさし当りは「生活の探求」のあの井戸直しでも。
行動の讚美はイタリーのマリネッティのように、未来派からローマ進軍へとうつりゆきますから。私たちの思索と行
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