。「ねぎらい」の描写を思い出していらっしゃるところ、一寸お話したように、大変うれしくやさしいと思うの。一緒によんだ同じ詩でも、印象の濃い行は、独自で本当に微妙なものだと思います。でも、こう書かれていると、あの雄蜂のつややかな躯やすこしつかれて柔かく重くなっている姿など、何とまざまざと浮ぶでしょう。芸術家が心や目に刻まれたものを丹念に再現してゆく力は、窮極には愛からしか湧かないものなのね。それが芸術の精髄的な本質なのね。「よくぞ生れ来たる」この詩は抒情歌の形でかかれてはいますが、実質には雄勁なものが一貫している作品ですね。反対に、テーマが雄勁であり得ているからこそ抒情詩としての流露も豊饒、豊麗であるということにもなっているのでしょう。私たちの生きている感情って実に面白い。今のような心でこの詩の一篇を記憶に甦らすと、その美しさや歓喜の高潮は余り美しくて、よろこびそのものが悲しみに通じるほどなのは面白いわねえ。深い深い美の感覚は常にそんな工合ですね。あら奇麗ねえ、という感歎の言葉がすぐ唇をついて出て来る美しさはその程度というところがあってね。
芸術家のめぐり会う波瀾というものも、複雑極りな
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