アトリエから出ている画の本をすこしまとめて買い、茶の間におき折々見ようと考えます。
 きょうの気持の工合では月曜日に行ってしまいそうよ。

 二月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月十七日  第十一信
 きょうはすこし虫がおこって、さっきパラパラと雨の音がしはじめたらひどくそちらへ行きたくなりました。でも、ごちゃごちゃ仕事を片づけなくてはいけないし、私はうちにいた方がいい体の調子だし、それで机の前にねばって居ります。昨夜寿江子と目白の通りを散歩して、この間うちから云っていた今年の十三日のために絵の本買うと云っていた、それを新しい古で十二冊ほど買い 8.60 也、チューリップの立派なの一輪、黄色い奇麗なラッパ水仙二本計 .90 買って、きょうは机の上にチューリップを、ベッドの裾の柱にこのダフォディルを活け、大変さっぱりとした眺めです。朝からひとしきり片づけ、一寸一服にこれを。
 チューリップというものはこの位になると、気品とゆたかさがあります、葉の旺盛な感じも面白くて。オランダの野原に一杯咲くチューリップは、今年もやっぱり咲いているのでしょうね。
 ゆうべ、かってかえった本の中から「ドガ」を見て、実にいろいろ感服し、あなたにおみせしたいと思いました。寿江子が気づいたことですが、ドガは、日本ですぐ踊り子を描いたドガと云われるけれど、たとえば、競馬について、洗濯女について、帽子つくりについて、そして踊り子について、決して、一枚そっちかいて次にこちら描いて又あっちかくという風でなくて、必ず一つのまとまりをもって実に追求しているのね、競馬なら競馬を。そして、ドガの絵にある不思議な動いている感じは又おどろくべきものです。モネ、マネという人たちの、客間的要素がドガを見てはっきりわかりました。ルーブルではドガを「オリンピア」のある絵[#「絵」に「ママ」の注記]にかけておくべきです。そうすると、すこし真面目に芸術を感じるひとは、そこにある明日へのび得る芸術の本質を、どっちに在るかおのずから考えるでしょう。本当にためになるのに。小説をかくものはドガが分らなければうそですね。武者がルオーをすきとかいています。武者らしいことです、あくまで自分の語りたいことを語る、に自足している点で、ルオーと武者は似ているのよ、その主観性で。その点では似ているけれどルオーの中にあるその
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