青鞜の時代にまとめて出ました。私の願うところはね、チョロチョロと流れ出した水の流れについて我知らずゆくうちに、濤も高く響も大きい境地に読者がひきこまれてゆくというところなのよ。
十日のには、雪が降って悦んでいることだろうとあり。あの雪はなかなか作用して、この小説は「雪の後」という題になりました。あの日の情景がいろいろと映った短篇です。峯子というのが主人公よ。小さいけれど、真面目な作品よ。なかなか愛らしいところもある、そう思っているの。正二という峯子の許婚《いいなずけ》がいます。「夜の若葉」で気がおつきになったでしょうか、順助の口調。作者は順助に好感をもっているのです。情愛というものがある男として描いています。男が女を愛すという、その偶然や自然力やそのものの支配の底に人間として情愛をもっている男、そういう男を作者は描くと、そこにどうしても響いて来る声があって、そのまざまざとした声音《こわね》があって、ああいう口調が出るのです、面白いでしょう? ひろくひろくよむ人の心の奥までその響がつたえられてゆく。面白いでしょう? そしてそこに、その人々の人生にとってもましなものとしてたくわえられてゆくのよ。正二もやや順助風な男です。そして、やっぱり或る口調をもっているのよ。「海流」ではそういう口調のデリケートなところがまだ描かれていません。重吉のそういうところ迄まだ宏子がとらえていないから。宏子のとらえたものとして描かるべきものでしたから。そうでしょう? 作品の必然として。
ユリのいささか千鳥足の件。そうでしょうねえ。さぞそう見えるでしょうねえ。もちろん、ここに云われていることを否定する意味ではなくこんなことも思うの。よっぱらいは真直歩いていると思っているのよ、常に。そして、千鳥足なのよ。急な坂をのぼるとき、ジグザグのぼります、でもそれは千鳥足ではない。しかし、ジグザグ登りのとき登っているものの脚力が弱って来ると、本人はジグザグのぼりをしているわけなのだが、千鳥足ともなるのね。ここいらの辺まことに錯交します。ユリの千鳥足。笑いながら、くりかえし考えました。小刻みでぴったりと足を平らに斜面につけてジグザグと正確に、山登りの術にしたがって、のぼりたきものと思います。
そして、ああ、あなたは何とずるいだろうと感服するの。詩集増刷のこと云っていらっしゃるのですもの。それに対して、いく
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