ろにする必要はあったのよ。それより多いと定価がずっとたかくなってしまうから。はじめに書き下しでも加えればよかったという御心づきはなるほどと思います、本当ね。そのとき私は心づきませんでした。これからの場合のため、よく覚えておきましょう。たしかにたっぷりした感じということもその著者の身についたものであるべきなのですから。ブックメイカアでない限り、ね。
 私としては、仕事総体について見て下すって、その上で一冊一冊の本について云われているという感じがはっきりわかっていると、その一冊についてどんな突込んだ批評もまごつかないでわかるのです。どっちが地だかというような表現は悲しいのね。そんなわけのものではないと思えるから。そんなわけではあり得ないから用語の逆説的なつかいかた、どうしてもその路をとらなければならない場合の、前後の周密さということについて特別注意ぶかくなくてはならないということがわかるのね。二十九日のお手紙では、その点もよくこまかに語られていてありがとう。
 大陸性その他のこともわかります。大陸文学というものの本質についての考察の一側面的な要素としてあのことも云われ得るのですが、あの文章は、その側面にだけふれているから、あれだけとして不完全なわけであると思えます。
 中公の本のこと。著者も困るところがあるということを客観的な事情として念頭において、しかし本人としては可能な限りの正しさでありたいのね。その両面からの関係のなかにその本が評価されたらうれしいと思います。このことはつまりいつでもどれについても云われるのでしょうが。
 二十七日のお手紙でしぼんだ風船になったことやこのお手紙にこめられているものいろいろ自分の心として考えてみて、自分の仕事に対する心持というものの機微を考えます、極めて高いごくリアリスティックな規準からの批評というものが、そのときの現実のなかで一つの本なら一つの本のもっているプラスの意味をそれとして見てゆくものだということは自明だけれども、著者としてその標準で自分の仕事を自分からみているということは、やはり優秀な著者の少数にしか期待されないことなのかしら、と考えるのです。一般に立っての美点というとき、一般と極めて高くリアルな標準というものとの間にどんなひらきがあるのでしょう――つまり、一人の著者が、一般に立って云えば云々と美点をかぞえて貰うことで、い
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