がして来なければなりません。さもなければ上野へ行くわ。その方が能率的ね。日本の古典をよむに、必要もあるから。今月じゅうそういう仕事をして、来月から書きはじめます。
つまりは、これ迄こんなに系統立ててはしなかった仕事が(勉強が)出来てうれしいと思います。自由に各方面にひろがって、突き入って、そして書いて見ましょう。それぞれのトピックについて、どんな作品、作家にふれてゆくかということをきめるのにもなかなか手間がかかり、判断力がいります。今日という世界をはっきり目の前に据えておいて、すべてのことを書くつもりです。それがふさわしければ、文学の作品ばかりでなく音楽にも絵にもひろがって行っていいわけでしょう。才能とか天才とかいうことを語るときには画家、セザンヌやゴッホやそういう人を語らずにはいられないだろうと思います。これらの人たちは、才能とか天才とかいう抽象名詞を、自分の身についたものかそうでないものかと詮索することはしないで、努力精励というものが、つまりは才能と天才との実物的表現であることをよく示しているのですから。
きのう、一寸美術雑誌を見たら面白いことがありました。フランスの画家たちは、そういういい手本が伝統の中にあるから、実に勉強だそうです。仕事着からネマキ、ネマキから仕事着で(それで又相当どこでも通用するが)ピカソなんかでも実に仕事するのですって。或る日本の画家がじゃ一つ俺もまねてやれと思って、在仏日本人の評判にされる程がんばったのだそうですが、二年でつづかなくなったって。体力のこともある。けれども情熱の問題もあると書いていて、見栄坊ぞろいの画家としてはよく率直に語っていると思いました。
こういう話をよむと、龍之介の「地獄変」を思い出すの。あの画家は、娘を火の中に投じるヒロイズム至上主義はわかるし、作家はその面でかいているけれど、そこに何か日本の芸術至上主義の体質があらわれているようです。そのフランスのことを書いた画家は、体力というが、体の小さい日本人は戦いにつよいとかいていて、つよいのは本当だが、どういうときどうつよいかが本質の問題であるように、芸術の上の情熱もそこにかかっているわけでしょう。(つまりこんな風に、その本のなかでも話してゆくことになるでしょうと思います)
二十六日の日曜日にはね、世田ヶ谷へお出かけです。十七日が防空演習でのびて、その日になりま
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