たのか、あっちむきだったのか、自然わかって来るのだから。
 そういう点も、つきはなすというのではない自分としてのわきまえをもつべきなのだと思ってね。それで益※[#二の字点、1−2−22]自分の所産ということをだけ注意し、関心し、熱中すればいいのだと思うようになって来たわけです。どんな形であろうとも、そのひとはその人の歩きようでしか歩かないみたいなものだから。いろいろなかなか面白いことね。人間が俗化してゆくモメントは何と微妙でしょう、私は自分についてやはりそのことを考えるのよ。私の場合にはきちんとしたさっぱりした自分たちの生活をやって行こうと決心している、そのことのために丁度模範生がいつか俗化するような俗化の危険をもっていると思うの。こういうところなかなかの機微ですから。今のような生活の問題があって、あらゆる面から自分の生活感情をしらべる必要がおこったりすることも、有益よ。
 さて、チクマの本のこと。この案は立派ねえ。これは魅力のふかい構想です。しかし、云わば文芸評論をかき得るか得ないかという空気とつながった問題があってねえ。
 女性の生きかたの問題だけの糸をたぐれば、これは文学史を流れとおして今日に到り得るのよ。それはいつか書いてみたいと思っていますし、書けるのよ。
 いずれは文学作品だのから語るのでしょうが、形は、一つのトピックからひろがってゆく形、間口は小さくて奥でひろがる形になってゆくのではないでしょうか。だってね、さもないとそれぞれの時代の人間生きかたについての中心的な観念がいきなり辿られることになって、それはとりも直さず校長さんのかけ声となってしまうでしょう。
 親子のことについて漱石は、本当の母ではないということを知ったことから人生に対して心持のちがって来る青年を書いていますけれども、自分が実の子でないということを知って、それに拘泥してゆくそのゆきかたがどういうものか、というようなところから親と子の自然な健全な考えかたを導き出して来る、そういう風に扱ってゆくしかないでしょうね。自分の計画としては、そんな方法しか思いつかないのよ、可能な形として。階子の上の段からちゃんちゃんと一段ずつ下りて来て廊下へ出て、廊下を歩くという順には行きそうもないと思います。そういう堂々的歩調のむずかしいところがあるわけです。トピックとしてふれないものもあるわけですから。余り定式
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