世代、マックカラーズの世代という風に。第一の世代の人たちは小説には特別な感情の世界をきずきあげなくては満足出来ず、お話をこしらえていた人たちの時代。バックの世代にはもっと現実に真率になって来ていて、お話はこしらえないけれども、やはりあたりまえに話すのと小説に書くのとは、気のもちかたがちがっていて、問題なりは、それとして問題として作品の中に存在させられた時代。最近の人たちは、更に動的で、バックのように自分はいくらか傍観的に生きて観察し考(思)索して書いてゆくのではなくて、毎日の中から生きているままに書いてゆく(技術的にではなくて、心理的にね)風になっていて、その意味で文学感覚そのものが行動性をもっていることです。偏見のすくないこと、現実のひどさを見ていてそれにひるまないで暖さも賢さも正しさも見失うまいとしている態度、変転をうけ入れてゆく態度。説教はしないで話すという態度。これらは平凡なことですけれど、しかし平凡さが次第にリアリスティックな把握力をつよめて来ているということの興味ある現象だと思います。(マックカラーズ)
第一次の大戦のとき、性急に動くひとと、動きを否定して内面の動きだけ追求した人々(心理派)とに分れて、行動派は重厚な思慮を持たなかったし、考え組は体をちっとでも動したら考えがみだれる式であったでしょう。第二次の大戦には、そういう段階でなくなっているのね、万人が二十五年の間に大きい範囲で、考えつつ行動し、行動しつつ考え、行動がいつも最善に行われるのでないことも知り、悪と闘うのにより小さい行為で黙って行って闘って行くという風なところを持って来ているのがわかります。これは私を元気づけます。文学というものはやはり人間精神の解毒剤として存在するということの証拠ね。そしてやはり人間はいくらかずつ前進しているのであるということを感じさせますから。
ヘミングウェイの小説ふとよみはじめて、あなたが割合感興をもっておよみになったろうと同感しました。これは自然私にフルマーノフの「チャパーエフ」(覚えていらっしゃるでしょう? 農民とのこと。)を思い比べさせました、二つは大変ちがっています。でも私にはなかなか面白うございます。あの娘、マリアが橋の事件の前、ロベルトにたのむことやいろいろ。ね。スペインの娘でなくても同じことを考える、そこを面白く思いました、ただああいう風に表現する
前へ
次へ
全236ページ中172ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング