ないというわけです。一昨年の誕生日には咲枝の兄夫婦をよんで庭で風をうけながら夕飯をたべて、夜なかに咲枝が産気づいた年でした。その前の年はやっぱり咲枝たち開成山に行っていて、私が国男さんを神田の支那へよんで、緑郎とおもやいでゾーリンゲンのナイフをおくりものにした年でした。きのうもね、国男すこしほろよいなの。寿江子一緒にかえりたがらないで一人で市電にのってかえしてしまって、私たちは省線迄歩いて。そんなとき私は国男が可哀そうでいやあな気になるのです。ともかく自分の誕生日によんで、一人でかえるなんて。私はいつ迄も気にして、いやがるのよ、寿江子は。兄と弟とはこんなにちがうものと見えるのね、寿江子の方は、何だか妙にねっとりして来る兄貴なんかと一緒にかえりたくないのね、それもわかりますけれど。でも何だか薄情らしくていやに思える。さりとて私がぐるりとまわってかえるのも余り時間がかかるし。始終一緒に暮していると、あっさり先へかえしたり出来るのかもしれないわね。私たちはあなたも私も一番上で、弟たち妹たちしかしらなくて、その心持は年をとってもかわらず、却って年をとると又別のあわれさが出来たりするところ面白いものですね。親が、子をいつ迄も子供と思うの尤もね。あわれに思う心というものの面白さ。
ゴッホがこの頃妙な流行で読まれます、「焔と色」という小説を式場が訳して。弟のテオというのがいてね、これは画商の店員をしているのが終生実に兄のためによくしてやっています。こんな弟は本当に珍しい。テオという単純な名が、その気質のよさをあらわしているようです。ゴッホのような個性の極めて強烈であったひと、病故に強烈であったところさえある人の生涯の物語が、今日の日本の人々によまれるというところもなかなか心理的に意味ふかいわけですね。個性というものを人間は失えないものだ、ということの証左です。
「女性の現実」の中の数字のこと。私あれをいろいろなもので見たのでしたのに間違えたのねえ。しかし、女の働くひとの総数はその位のようですよ。月給もそれは新聞の日銀統計で出たのでした。平均というのは、工業の熟練工で一番とるのが平均三百何円で、女の最高の平均が百何十円というのなのですが、そのことが分らないように書けていたでしょうか。最高でさえ男の半分しかとれない、ということをかきたかったのでした。
『ダイヤモンド』ありがとう。と
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