チャガチャンとしたりして淋しい村駅の感じでしたが、この頃は夜中にもひどい地響を立ててひどい速力で通ります。頭に響いて、いやあな気持で目がさめます。河村さんよく暮しているようなものね。村道も夜更けて、夜なかでも人が通ります。用事もふえた証拠です。手塚さんの旧い家をかりている医者が召集をうけました。あとはお母さんたちがかえられてから、達ちゃんの様子をお知らせいたしましょう。あしたは多賀子、冨美子とまりに来ます、私がかえる前にもう一度会いたい由で。もうあっちへゆくのも面倒だし。
 きょうはむし暑くなりそうね。魚も何もなくて、茄子《なす》もないの、皆がかえって来たら何を御馳走いたしましょうね。おや肉を売りに来たわ。(いろいろの物音がきこえて面白いでしょう?)でもこっちにはこうやって肉があるから大したものなり。きゅうりにつめて煮てでもたべて頂きましょう、お母さんお好きかしら。
 どうもきょうの天気は困りね、可哀そうに。広島で三人はどうしているでしょう。今一降り大きく降って、うちは二色の音楽よ、ピーン、トン、ピーン、とん。これは御仏壇の前の深いバケツに雨が洩る音。もう一ヵ所どこかでトン、トンと落ちているけれど、そっちの方はいやに陰性で、茶の間の私のところからはどこか見当もつきません。小さかった頃うちに硝子戸がなくて、雨が降ると雨戸をしめて、いくらか間をすかして、そのすかした間から吹きこむ雨で縁側がぬれると、私たち子供は面白がってすべって歩いたものです。うちの母は雷が猛烈にきらいで、どういうわけだったのでしょう、考えてみれば滑稽だけれどひどく雷が鳴ると子供を三人自分の膝の前へかためて坐らせて、頭の上から黒いゴム布をかぶせて、息もつかないようにしていました。随分暑苦しくて、何だかその方が雷よりこわい夕立めいた物々しさでした。地震部屋というのもありました。これはいつか書いたかしら。廊下のはじにいきなり一枚戸をあければ出られるような一間半に三四尺のトタン屋根のつき出し小舎があって、そこに毛布、ビスケット、ローソク、衣類なんかがいつもおいてあったこと。いざというとき一先ずそこへとび出して、それから逃げようというわけだったのね。それを使うほどの大地震はなくて、やがて子供たちはそこを雨の日の遊び場にしました。そして震災のときはもう夙《とう》にそんなものなくなっていて、倉が立っていました。西村
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