れはそこにある生存の全体に向って感じる深い不安です、でも、そういうものは全く感じないでやっているのね、不安を感じないばかりか疑さえ感じないのよ、それは今のような世の中の空気の中で非人間的な、印象よ、何だか。
殿様的空気ということは現代ではおき去られた非存在的存在の感じでね。私がそういう空気に棲息出来ない生物であるということは、私の健やかさだし身上だと痛感いたしました。何だかだからさっぱりしてね、だってそっちの山道へは足を向けないときまったのですもの。人々の中へ。人々の中へよ。文学はそれを自然の方向としているのですし。こっちの方向で、さがす、工夫する、思案するという次第です。御同感でしょう? 二兎を追うべからず、というのは生活の上でも二筋はかけられないという真理をつたえているわけね。そこのところにはなかなかごまかしがきかないから、面白くて。そこのところが何とかうまく二筋道になっていれば、きっとどこかにそれだけの裂け目があって。
このお手紙の「波乗り」の描写をよんで、私は本当にあなたは海の感覚を体で知っていらっしゃると思い、同じ詩の話にしろ、ここには、あの虹ヶ浜の波を体に浴びたひとの感覚があります。引きしおに全身がまきこまれるところという感じかた、ほんとうに溌溂と語られていて。そういう瞬間、子供たちは我知らず叫ぶでしょう? 叫ばないでいるというのはむつかしいわ。面白さ、うれしさ、いい心持、こわさ、みんな一どきですものね。
「波乗り」につれて思い出します、あなたがいつかお話しになったこと、覚えていらっしゃる? 波のりをして、のうのうとしてゆるい波に仰向いて体を浮かせたまま、いつの間にか眠っていらした話。夏の日はキラキラとしていて、何と横溢的だろうと忘られない印象よ。
海にあなたは本当に馴れていらっしゃるのね、荒[#「荒」に「ママ」の注記]しもなぎもよく知っていらっしゃるのね。波の底の地図も。海底のいろいろな様子で、潮がどんなに変ってゆくかということも。あああなたは、よろこばしい魚のように身をおどらしてそこにもぐっていらっしゃるのね、それから波と体とをやさしく調和させながら、高く低く、迅くおそくと力泳して、すこしつかれたときはじっと浮んで、いつか又波のうねりに誘われて泳ぎはじめ。
飽きることのない夏の日がそこにあるのです。
海にもおよがれるよろこびというものはある
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