に立体的になって、心の全体の動きとしてよめるようになって来て。ねえ。
 わかってゆくということは極めて生的動的ね。わかる部分ずつわかってゆくのね。すべての価値がわかってゆくそのわかりかたの面白さ。そうやって、少しずつ少しずつわかって行く部分がそのひとの身についたものとなってゆくことの面白さ。
 頂いたお年玉はもう頂いておかえしはいたしません。きっと、とりかえさずとよかったことがおわかりになったと思いますから。

 一月二十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月十九日  第五信
 きょうは風のない暖かな日曜日でした。十六日、十七日のお手紙、二つ一度に着、ありがとう。
 ボンボン、私がよろこぶのもあたり前とお思いになったでしょう? 昔子供のとき、風邪で咳が出るとコルフィンボンボンというのをのまされました、それは咳とめよ。ハッカが入っていたようです。
 計算書のこと承知いたしました。これとは別にかきます。あの本は本当に面白く、みんな通って来たところどころの変化の姿の真実が語られているのだから、まざまざとしてウィーンの破壊された建物の話でもね。そのアパートメントを私は見物に行って、そこの住居人の子供が名所エハガキを売るようにそこのエハガキを売りつけるのを見て、一種の感想をもちました。そして、やはりその感じの当っていたこと、そんなにして小遣稼ぎをする子供らの生活が語っている実相がその真の向上の方向には向けられていなかったことがまざまざと分り、実に面白うございました。
 一九二九年の五月はワルシャワでね、その朝の光景なんかいつか書きましたねえ。みんな目に見えるようで、従って、実に会得するところ大[#「大」に「ママ」の注記]かったわけです。
 それにつれて、あなたが(武麟評して大|伽藍《がらん》のような構成だと云った)文芸講演会のトピックの意味も、くりかえし思い出されました。何日かをぶっとおしに当てるという方法が一番有益ね。この間のは菊版で四百何十頁か。二日殆ど食べる間だけ休んでよみました。本をもっては国府津でよめたりしたらいいのにね。益※[#二の字点、1−2−22]そんなことは実現おぼつかないことになります、切符の関係で。
 甘やかすと為にならないのは天下の通則ながら、私は、しかし甘やかされすぎたということが、いつかあったのかしら。
 動坂で、松林の模様
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