ことねえ。その子の絵に面白いところがあるとすれば、それは即ちそうやってあり来りのきたなさの中に何か生活を見ているからでしょう? そこが別々に見られるのね。美的なものというものがあるという風に見るのね。健全なものがあってそれはどんな不健全なつかいようをしても健全であり得ると誤解している人だらけなのを、改めて考え合わせます。
芸術における世代とは何と厳然たるものでしょう。
そのことは、詩集のありようにも映って居るわけですもの。
全五巻のほかに別冊としてある素足だのボンボンなどの描写、追随を許さないものがあります。別冊がやがて全六巻という工合にあみこまれて、きっと又未定稿がまとめられるでしょうね。ちょいちょいした断章に、忘られないのがあるわ。すぐれた詩人は、二三章の断章の中にも感銘をこめる不思議な魅力をもって居ります。息吹という題で、いく章かの断片がある中に、覚えていらっしゃるかしら、さっぱりとすがすがしい丘に、さわやかに軽く匂い茂っている浅い叢。その丘にふさり、手でその軽い叢を梳《す》きながら、遠い泉のしぶきの音に耳をかたむけている一人の女を描いた、淡彩風の短詩。それから、夏の篇の驟雨《しゅうう》。あれも見事ね。さし交した樹々の枝は愈※[#二の字点、1−2−22]深くかげを絡ませながら、揺れ、そよぎ、根から梢まで震動をつたえつつ、葉と葉とからしたたりおちる雨粒が、下の泉の面にころがり、珠と結び、その珠のつながりは忽ち泉のふきあげるしぶきにまじって、紅の罌粟《けし》の花弁をひたしながら溢れる様子。すがすがしい丘の上に、が淡彩であるなら、これはたっぷりとして油の香りも濃い絵ですね。こういう風景画なら、風景画でもただものではないわけですが。私はあの驟雨を読むと、自然の旺溢の美しさを身にしみます。葉のさわめき、つたわる雨粒の丸い柔い変化の多い音。枝のきしみ合う風に交った音。
でも、夏は又面白い題材も多いものと見えます。
「無邪気なウォタ・シュート」というの覚えていらっしゃるでしょう。あれには、心持のいい插画がついていたわ、かーっと晴れた夏の午後、公園の大池のウォタ・シュートの尖《とが》り屋根。その屋根は赤と白とでお祭の時らしくぬられていて、元気のいい男の子が、いくらか風変りな曲線をつけられたところを、池に向って小さいボートにのって、辷る、辷る、と笑って叫びながら辷って行
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