た由。よかったわねえ。一時間で生れ、お乳もたっぷりたっぷりですって。これこそ全く何よりです。この頃人工栄養でなくてはならなかったらもうやり切れません。ものがないのだもの。お母さんが来て世話していられるそうです。お母さんが、あなたのお手紙を見て(玖珂の、よ)大変よろこんでいられましたそうです。お母さん一荷をおろしたとおっしゃっているのは全く御同感ね。多賀ちゃんや冨美子お祝いに来たそうです。きっと冨美子は赤ちゃん珍しくて可愛いと思ったでしょうね。あのは子供に大人望があるのよ。
あしたは五月五日で、そろそろ送ったお祝がつくでしょうから二階の床の間に、初端午の兜の飾物が燦《かがや》くわけでしょう。かけものなんかでなくて賑やかで子供らしくてよかったわ。
この頃は余り鯉のぼりはありませんが、それでもたまには若葉の間にひるがえっているし、そちらへゆく途中、いつも往来から迄子供たちの万年床の見えているひどいおかみさんのうちがあってそこを通ったら、珍しくも畳から床があげられて、掃かれて、そこに二つ、赤い布をしいてガラス箱入りの人形が飾ってありました。
太郎の鯉のぼりは風にへんぽんと舞っていることでしょう。
二十九日にね、かきかけの手紙があるのよ。それは、お客で中断されたというばかりでなく、むずかしくて、今よみかえし、やっぱりこういうテーマというものは何と捉えがたく、云いあらわすにむずかしいだろうと感歎いたします。
夢が本当のようにまざまざとそこに坐っていらっしゃる絣《かすり》の膝だの、そのわきに仰向いて高く二つの手をのばして、重い頭をその手の間に感じ、響きのような訴えを心に感じているままさめて行って、そうでない朝の中に出てゆく心持は、何と独特でしょう。
あなたにもおそらくは、こういう明方の訪れることもあるでしょうねえ。昔の歌よみは夢の通い路というような表現をもっていたけれど、それはそんな限られた幅の上でのゆきかいではないと思えるのよ。そんなことみんなかきたくて、書きかけて、どうも下手にしかかけなくて。
余韻の中にゆられていて、ひるから迄も私はいつもの心もちでなくて、涙がこぼれるようなのに、書けないの、可笑しいでしょう? こういう情緒を表現する方法はつまりは二つしかないものなのね。一つは極めてリアルに決して体にわるいことのぞんでいるのではないわ、ただただ、と願っているその
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