らいろいろ賑やかには暮していられる由。ただすこしその家は日当りがよくないのですけれども。ちっともしおれてもいず、感心なお母さんです。年を召して、そういう大きい境遇の変化にああ明るく耐えているということは立派なことだと思いました。団子坂を通るといやでもよるようなところ故、折々よってあげましょう。年よりたちは、どこの人も、子供の友達が出入りしてくれることをよろこびます、しんからね。子供への愛がそういう形でてりかえして。
 きのうはちょっと「北極飛行」をよみはじめ、深く心を動かされました。こういう底からの明るさ、信頼、合理的であることの当然さ、感慨無量というところです。あの筆者の性格も何と面白いでしょう、ああいうメカニカルな仕事をする人が、公文書でなんかかけないとあの物語をかく、しかしそれはあくまで科学に立った形象性として。ああいう天質の成長というものの中にどの位文化の多面さ、ゆたかさ、自由があるか、そのことでひとしお感動しました。もし私があの書評をかくとすればそのところにつよい光をあてます。新しい文化の傑出したタイプです。本当に感慨無量で、目に涙が浮ぶようでした。訳者は「小説(文学作品)とは云えないが」云々と云っている。しかし、文化の分裂の形であらわれる小説よりは質において遙に上です。あの中には人間の美がさっぱりと輝やいています。あれも本当に、いいお年玉です、いいものを下さいました、ありがとう。ああいうよろこびをもって小説家が仕事出来たら。きっとそうお思いになったでしょうねえ。創ってゆくよろこびが躍動してそれは天真爛漫にさえ見えます。
 人間に希望、よろこび、慰めを与え得る文字、というものの価値は大したものです。日本の作家はこれまで、そういうものを通俗な事件そのものの目出度しや、ある心の境地や諦めやで与えようとしてだけ来ていますが、芸術の到達し得るところは、そんなところではないわ、ねえ。芸術は、悲劇をもやはり人間精神の高いよろこびの感動として与え得るべきです。苦痛の中にそのものが描かれてゆくことのなかに、大きい一つのコンソレイションがあるべきです。アランがそのことを云っているのは面白く思いました。なぐさめること[#「こと」に傍点]ではなくて、なぐさめられる心、それについて。芸術家の現実を統括してゆく力として。詩性として。もちろんこの判断はアランの限度のうちで云われているのですけれども。(哲学的に、ね)文学の面白さとこの人間精神のコンソレイションの関係は面白いこと。誰もつきつめて居りませんものね。私は自分の文学はそういう輝きで飾りとうございます、では又。このおしまいの部分は、面白いのよ、私の成長の歴史として。又かきます。

 一月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月二日  第二信
 お喋りのつづき。
 小説の面白さと精神のコンソレイションの話。この関係の微妙さと、高低の相異のひどさは、考えると面白いこと。精神に与えるコンソレイションが宗教で代られた(文学における宗教味)時代もあり、道徳で代られた時代があり(ピューリタン時代)文学、すくなくとも小説のこのものは、現実そのもののようなねばり、多様性、動き、関係を、すっかり掌握してゆく作家の写実[#「写実」に傍点]ではなくて、そこに一つの見とおしをもっている感覚にまで及んだ知性、そういうリアリティーが、精神に与える満足と慰安と生活への鼓舞というもの。
 あなた覚えていらっしゃるかしら、いつか書いた私の手紙に、悲劇はない、というような意味のことをかいていたのを。自分の生活感情として。覚えていらして? ところが、あれは、主観に立ってだけのことで、それも今からは浅いと思われます。卑俗な云いかたでのそれはないにきまっているが、悲劇は人生にあります。悲劇とか不幸とか云うものはあります。(私の自分のことではなく)私はこの夏暑いところでいろいろきいていて、悲劇の悲劇であることをはっきり感じたことがあります、一人の婦人の善意の遭遇しためぐり合わせについて。作家として、テーマの本質をつかみ出すこと、その理解によって全体を見とおす平静さと悲劇はない、ということとは大したちがいです。そうでしょう? 私はその点では、未熟であったと思います。主観的であり箇人的ですね、そこでおさまっていられるとすれば。これは所謂悲劇への否定から出発していて、そのものとしてはやはり或る健全さへの探求の一つですが。今は、精神を高め、はげまし、愛し、涙そそぎ、しかも勇敢に前へ出ようとする力を与えるものとしての悲劇を理解するし、それがかきたいと思う。
 この点は、小さいようで、しかし作家としての成育では随分大切なことです。小説がかける心というものの真髄的な要素の一つですと思う。これが、私の小さいあなたへのお年玉よ。どうぞ
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