典は何だか、そういうところまでずーっと手をつっこんでつかまれなければならないのね。そういう風に古典にずっぷりと手をつっこめる或るものがなければ、結局未来への伸延力もないというわけで、ここの微妙な生活的モメントを実に実に面白く感じます。そういう意味で、私はよく謹んで学んで、牛若丸になりたいのよ、過去と未来との間を自在にとび交いたいの。そういうつよい脚の弾力をもちたいの。その様を想像すればなかなか快いでしょう? かの子というひとは小さいすこし凸凹のある鏡台の前へぺったり坐って、自分の顔へこの色を彩って見たり、この隈どりをつけて見たりして、こわいだろう? こわいだろう? と自分におどしたり、いいだろう? きれいだろう? と自分をおだてたりした人です。その全体の姿はやはり面白いけれど、作品は一面にひどい通俗性をも持っていて。
 ああきょうは何とどっさり喋りたいことがあるでしょう。十七日はどんな天気でしょう。うちに奇麗な花をたっぷりいけて、机の上にも奇麗な花をたっぷりいけて、そして詩集や戯曲集についてのお話いたしましょうね。私は居心地よくするのが割合に上手だったでしょう?
 花の匂り、いい匂り。その匂りのなかに神経のほぐされてゆく気持、いい気持でしょう。暖く血がめぐるでしょう。おわかりになるかしら、私はあなたを丁度快適なほどに血のめぐりを暖くそして速くしてあげたいと、いつも思うのよ。休みにそれがなる程度に休ませないようにして上げたいの。これはやさしいことではないと思えます。あるところまで集注されて、それがおのずからほぐれてゆくリズムは大変とらえがたいのですものね。雲の風情はとらえがたいのですもの。
 この間うちから一度かいて見たいと思っていることがあります、それは別封で。この手紙十七日につくように。窓からヒラヒラと舞いこむおとずれになるように。では、ね。

 十月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月十三日  第七十信
 これは先ずお約束の表ではじめなければなりません。この十日間は好成績でないわね、第一防空演習でしょう、第二が小説でしょう、尤もあとの方で非常によくないのは九日の夜だけですけれど。
   甲 二つ
   乙 五つ
   丙 二つ
   丁が一つ
 よみもののこと、プランが変えられて、私はほんとうにほっといたします、どうもどうもありがとう。あれはすこしせめ苦めいていました。もっと早く自分からそのこと云うべきでしたね。そのことでは私は、わるかったと思うの。だって現実の日常生活の条件から、そういう方法が変えられるのは当然ですものね。私はあなたが仰云ったとき、ふとそのことを思って。私のそういう従順さのようなものは本来はあなたに対してよろこばれるものよりも、寧ろ何か自発性の足りなさとして考えられる筈のものだと思って。同感でしょう。
 けさは何というまざまざとした感覚のなかから目をさましたでしょう! 二つの腕のなかに紺大島のボリュームが犇《ひし》とあざやかで、顔の前に何と紺の匂いが高かったでしょう。
 下へおりたら十一日と十二日のお手紙。こうして一組になって到着するのは、いつも片方が黄色っぽい色で片方は白い色なのね、何だか面白い。この前のもそうでした。
 十一日のお手紙、題のことで、動物園や植物園に縁のあるのばっかり多いというのは実に笑いました。本当にそうね。昆虫記のような題も少くないわね。日本の文学のある傾向もあるのね。そのこと何だか興味をうごかされ、今度一寸した感想にかいて見ようと思いました。
「日々の映り」という題への批評は適確です。名は体をあらわす式で、あれを私が書き直したい(結局別もののようになりましたが、逆から云えばそれほど)と思っただけ、作品として主観的だったのです。私は大変愉快よ、あなたのお突きの正確さが愉快です。こんな小さい道を貫いて、作品のよまれもしない内奥までふれられてゆくところが。作者の気持いっぱいで、息をのんでいて、語りつくしていなくて。この例から見ても、簡潔ということが自然主義的平凡さとちがうという意味がよくうなずける次第です。
 題はそういう意味で本当にむずかしいと思います。つまるところはその人らしい題をつけるものですね。稲ちゃんの「くれない」「素足の娘」「美しい人たち」「女三人」「四季の車」みんななかなかうまいでしょう? 一つ一つ聞くとはっとする位しゃれた題です。いかにもその人でしょう、
〔欄外に〕前の頁半ぱに切って御免なさい。余り消すことになってしまったから。
 フィクションの題にすれすれで、そうでもないところ。その味。私はこういう題をつけられないけれど、内心はうらやましいことがなくもないのよ。そして、自分なりにいかにも自分らしいのを見つけたいと、いつも思います。そして、お手紙にか
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