に病死されて居ります。一番初めの妻が、父の妹の鷹《ヨー》子という人でした。その人の子が、基とひろ子とあって、ひろ子というのは、三井のパリパリのところへ嫁いだはいいが、ひどいきらわれようをして、病気になって結婚して一年目に離婚して死去しました。基は後つぎだが、あとの細君の子が六人いて、ソーソーたるところへ、そのお菊さんというひとも死に、あとへこのお久さんという人が来てやはりこの人も没したというわけです。又何故お菊さんとかお久さんとかいう名の人ばかり貰ったのでしょうね。
私は、今度の叔母という人とは何かのことで家内が集らなければならなかったときしか会っていないのよ。ですから病気のこともよく知らず、見舞もしなかったので、叔父に対して余りわるいからお通夜いたしました。感謝するよ、と云っていたわ。もうすっかり白髪でね、昨日葬式でしたが、もうすっかり暗くなっている墓所でそのうつむいた白髪だけがぼんやり見えて、私は大変気の毒でした。お医者としてはヤブなのよ。それが家柄の関係で、順天堂のおやかたの次で、生え抜きです。ひとから頭を下げられてばかり来ている。そのためにひろい世間を知らなくて、あととりの息子なんかのものの考えかたと正反対で、又ちがう子がどっさりというのですから、家の内はごたごたなの。
その点も気の毒です。しかしこの点については云わばその人の責任もあるけれど。妻に三度とも病死されるというのは偶然ながらひどい不運ね。そういうわけで、きのうは朝五時の省線でかえって、十一時迄眠って、ずっと七時迄。九時におふろへ入って、けさは十二時迄眠ってしまいました。私の表でこれは何という点でしょう。丁の下?
さて、『中公』では、あれに気を入れていてね、なるたけ早く三月ごろに出したいと云って居りました。それに大変いいことは、うけもちの人が変って、おちついたいい本を出したいと考えている人になったの。今までみたいに、そらやれと火のつくようなことを云わない人になったの。ですから長篇も書くはり合もありますし、いろいろ心持がよくてうれしいと思います。一月になったら長篇の印税をいくらかとって、四ヵ月ぐらいの間にまとめます。その間に、一冊ぐらい本が出るとすれば、まさかまるであとは一文なしにもなりますまいでしょう。
二十八日―五日ぐらい迄にまだ五六十枚書くものがあります。それをすませ、お正月は、あの本の
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