ろいろな暮しかたというものが、つまりはそのひとのいろいろの核心的なものの位置を何と雄弁に語っているかということについて改めて考え直します。
 その意味で、いつかのお話の中で一寸出た、(『文学論』にふれてでしたが)「人への評価でもユリは」云々の話ね、やっぱり忘れず心にのこっていて時々反芻しています。ちゃんとした評価、それに準じた交友。そういうことは或る時期心の中で人々の居場処に変化を生じるのです、近いところにいたと思えた人を遠くに見なければならないという風な。そして、そのことはここに云われているひろい輪とその中の独自な輪との関係をはっきりさせていないと、何となし心を傷ましめる感じにうけとられてセンチメンタルになる傾があるのね、そして、自分の評価に自分の方でついてゆかず、ごまかして、人情主義になるのね。その点では大人になってつき合いの雑多な等差に処してゆくべきです。生活の面の多様さにつれて次第に其は分って来てはいても。一番いけないのは近い筈なのに遠いことを発見してゆく心持ね、いやね。そのくせ、それでいて、遠いきりかと云えば、ことによってはやはりそれなり近いのだから。
 この感情わかって下さるかしら。「文学史」の後半について云われていることについて、私は一寸前の手紙にもかきましたが、その心持がああいう場合にも私には作用していると思います。そこが、私の評論家でも歴史家でもないところであるわけでしょうが。
 仕事上の交渉は云々のこと。私なんか実にそうね。特にその点神経も働くわけですけれど。婦人の作家にしろ何にしろ、その点がルーズなひと、逆に個人的な何かで仕事をひろげて行こうとしたりする人で、しゃんとした社会的存在をつづけるものはありません。
 それは日本の社会がおくれているということが変な逆作用をいたしますからね。あの某々が特に接触のある某々だからと、公人として便宜を得るなどということは万々ありませんね。それを女のひとたちはおくれていることから理解しないのよ。女こそ、猶個人関係なんかけとばした仕事でものを云ってゆかなければ、すぐ個人関係の推移とともにどうにかされてしまうことを十分理解しないのです。そして、ひどい軽侮をうけている、かげでね。
 私なんか、だから特殊な便宜もないし、非個人的であることから、私を知っていたら云えないような見当ちがいの悪口も云われるけれど、そのような点
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