たものね。あのときは一切人に会わずで。私たちにそれは出来ないが、しかし、粘るところは、ざらにない力です。そういうところのよさは学ばなければ。蓼科へ行って秋声の伝記かくのだそうですが、『文学の思考』の序文が与える感想とそのこととをてらし合わせ、私はああはしまいという思い切です。勉強勉強と思うのよ。うちにねばって、休むこともうまくやることを学んで、勉強勉強と思います。原っぱへ行って休んで来て、それでいいと思うのよ。美しい詩集からいつも新鮮にされるよろこびを与えられながら。
 そういうようなわけですから、どうぞ私の殊勝な志をめでて詩集についての物語も折々おかき下さい。
 でも、今ふっと考えて奇妙なことと不思議に思いますけれど、あの詩集の中に冬のつめたさはつめたさとして一つもうたわれていないの、面白いことね。「濃い晩秋の夜の霧に」という題の覚えていらっしゃるでしょう? 遠い野末に見ゆる灯かげという句のある。そして、女主人公が、その野霧が次第にうっすりとする街へかえりながら、自分が不器用で、才覚なしだったものだから、のぞみのよこをただとおってしまったことについてのこりおしく思って歩いている心持をうたった詩。平凡のようだけれど、真情からうたわれている詩。あれだって、ちっとも寒さとして描かれていないし。「ああ、この冬は春の如く」は勿論のことですし。冬のさむさに凍らないあたたかい詩はいい心持ね。あたたかく、丁度程よく心をしめつける詩の風情の味いふかさ。
 でもね、私はこうして詩のいろいろの味いを思い浮べると、小説のこと思わずにいられなくなります。いつかも書いたようなテーマの展開の素晴らしさを。
 私には大変詩がいるのよ。
 おっしゃっていた小さい岩波の本近く手に入りますの、そしたらすぐよみましょうね。金曜日まで、まだ当分ね。火、金というのはなかなか間があるのね。今夜はこれからお風呂に入り、眠ります、早いけれど。そして、あした朝早くめをさまし、よ。ではね。

 十二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(第十回龍子個展より「真珠潭」の絵はがき)〕

 多賀ちゃんのお土産買いをかねて、明治大正昭和插画展をいそいで最終日に見にゆきました。いろいろ実に面白く思いました。插画しかかかない插画画家というものは何と低い限界で終始しているでしょう。そのわきに川端龍子の個展あり。この風景は面白うござ
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