かく考えます。つけられる題で、最も健全なものをあみ出してゆく骨折りということの具体性を。
自分のうちに二つの流れを流しつつ、それが相剋する本質であるということについて感覚が麻痺《まひ》しているようなもののありように対して。文学史の上における文学的堅持というものと、その表現というものの間に生じる差の大さの間におっこちてしまうのね。そのおっこちまいとする方法に二つあって、一つは、文学史的足場の方を移動カメラ式にずらしてずらしてやって来て、表現の可能のそば迄もって来て、本来のカメラのありどころはあすこだったし、であるべきだが、という形。もう一つは、カメラなんかもう自分から蹴ころかしている組。
歴史は与えられた条件でつくるという言葉のうちにあるものの人間らしい希望。骨折り。そうよ、本当にそうだわ。もしそうでないのなら、私たちの生活術にしろ、どうして成り立つでしょう。
文芸復興の声の部分は、自分では、一方が様々の問題に面していたからとだけ感じているのではなかったけれど。そういう時期に、ここに云われているような吸引作用がおこったこと、しかも武リンや林がそういう流れをつくったところをかいていたと思いますが、そうでなかった?
科学的批評は以下、思わず笑えました。実にそうなのですもの。そして、終りまでに語られていることの実現には方法の上での様々な周密な考慮がいって、例えば、毎月毎月短い評論をどっさりかいてゆくというようなものの書きかたをしてゆくことと、どうもいつしかひっぱられて流れにつれて走っていることになりそうです。今日、舞台の正面にいるものほど奇妙な文学踊りをおどらねばならないのだから。
私は幸、益※[#二の字点、1−2−22]お正月号のしめ飾りではない存在だから今月は、これまでのものに手を入れたりする暇もあり、そういう暇をもつ意義を十分にあらしめたい心持です。
私として「十四年間」をかいたのは大変よかったと思います。常にあれを中心として、そこにある弱点についても忘れず、そのつづきとして、文学現象を永い見とおしでとらえてゆこうとする感覚におかれるから。多くて正確でいい仕事、もとよりそれはのぞましいけれど、ある時期には少くていい仕事もいいと思います。結果はどっちにしろ、つまりはいつも精一杯。そこね。
それでも徹夜廃止を実行するようになってから、まる二年と数ヵ月ですけれ
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