たべてそこへ『都』のひとの来たのを、御飯たべたべ喋って(仕事のうち合わせ)出かけました。
三日まで行かないつもりでしたけれども、どうしてもそれではもたないのですもの、仕方がないわ。御褒美をいただくというわけでダーとかけつけたわけです。
それからのんきに根津山の新緑の美しさ、その新緑のなかに黒い幹々の新鮮な色を絵にかきたいと思いながらかえったら玄関にかけて待っている人。子供のための雑誌をやる人です。チャペックの訳をしたりしている人です、チャペックのあのつよい面よりはそうでない面からチャペックの芸術にふれ近づいて行ったという人柄の人です。私の知っている娘さんと結婚したばかり。その人といろいろ編輯上の話をしていたら『古典研究』の若い人が来て、秋の特輯の下相談です。玄関で中腰で話す。私に芭蕉の抒情性をかけとのこと。日本文学の抒情性特輯の由です。私が先頃『新女苑』に芭蕉のことかきました。それがよかったからとわざわざすすめた人がある由。しかし三十枚もそういうものをかいていたら又々私の小説は消えてしまいますから、大体においてことわります。日本文学の抒情性というものは、それは正確に扱われなければならないものではありますけれど私一人ではやりきれないわ。そうでしょう?
そんなこんなが一応片づいて午後四時すぎ。寿江子が来て、悄気《しょげ》て私の膝を枕にしてころがったから頭をなでていてやったら、寿江子のつかれも癒ったようですし、私の気持も又のんきになりました。寿江子は和音《ワオン》の教師が(作曲上のテクニック)みみっちい気持で教えおしみをすると云ってしょげているの。やがて気をとり直して、「マアいいや」というわけ。「自分はこれまでいろいろましな人にばかりふれるときが多かったが、そうやって世間普通の根性の人ともつき合ってみるのもわるくないや」というわけです。ピアノをききにゆくというので、ひとりだけ早く玉子をゆでておかかかいて出かけてゆきました。
私はそれから今日限りの所得税申告を書き込まねばならず、急いで夕飯すまして、それをやって速達にしてかえって、やっとのうのうとしてこんやはこの手紙だけにいたします。
随分永らくかきませんでしたね、十九日に書いたぎり何てひどかったのでしょう、でも私は今日は今日はと思っていたのよ、カタンカタンとガラスをあげたりおろしたりして、度々受箱を見ていたのよ、
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