たローソクのような心持でかえって暫くぼーとしていて、それからすこし寝ようとしたのですが、たか子が出かける時間だのお客だのに区切られて眠れず。ぼーとしたつづきのようないい心持です。でもこれでは仕事は出来ず。気持はひとつところへ還ってばかりいて。可笑しいでしょう? あんぽんね。でもきっとこういう工合に神経がゆるめられて、今夜はおそらくさぞぐっすり眠ることでしょう。
 ゆうべは、すこし眠ったら明るくてたまらない気がして目をさまして、勿論真暗なの、どうしても眼の中が明るく不安なので却って例の水色スタンドをつけたら、落付きました。こんなのごくたまです。然し頭がひどく疲れていると、真暗より仄明るい方が安らかというのは可笑しいものですね、神経にのこされている緊張と光線のバランスとが在る方がいいと見えます。
 今私は煩悶中です、というのはね、この部屋、スケッチで御覧のとおりで、入ると、サア仕事するか、それとも寝るか、どっちか、と膝づめに会っているような室内の配置のゆとりなさです。Bed をたたんでしまって、あのゆったりとした坐る机を出して東の窓の下においてきれいな座布団をおいて気分をかえようか、それともベッドを畳んだら一寸休むとき不便かとかいろいろ思案中です。坐って仕事するということは出来にくいし。私こんなに仕事してアンマをとるということがないのは、坐っていないから背中が楽なため、血液循環が楽なため、と信じて居ります。
『現代』の高見の「婦人作家論」よみました。そしていろいろと通俗性を面白く思いました。面白いことね、「如何なる星の下に」というような長い小説をかいているときは、一つの独自の世界の住人のようであるが、ああいうものになると、ヌーとお楽になって毛脛出して面白いこと。ものの判断の標準の平凡さ。あすこが本音で面白いこと。大変面白かった、というのは、撫で切れるものを撫でているという意味です。彼の「ああいやなことだ」の掌にはあまるものもこの世には在りますから。
 女らしさを活かし切るだけの男らしさが、男にないということを思いつかない男があるのは、結構人ですね。男というのが彼のスケールで止っている限り、彼等にとって私が女らしくないというのは何たる自然さでしょう! 何たる女の溢るる女らしさでしょう。
 いずれにせよ、私にはかかわりないことです。そういう標準は。私は益※[#二の字点、1−
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