した。丁度二時というところ。それではどうせ出るのだから私巣鴨へまわるから、寿江子原さんのところへまわるようにと云って出たわけでした。髪が苅りたてでしたね、弁護士は七日までにどうしても仕上げなければならぬ書きものがあるとかで、八日にはゆく由です。この手紙より早く月曜お話しいたしますが。
あれから電車で東京堂へ。もう十二月から出来たら出来たらと云っているタイムズの支那地名人名字典、まだ出版しませんで、と東京堂の番頭君恐縮していました。まさか紙がないというのでもないのだろうのに。改補がおくれているのでしょうね。本当におまち遠さま。それから新法学全集又改めてしらべて見ました。三十何冊か出ているのですが、そして、仰云るとおり仮装幀なのですが、日本評論社で分冊を出していないので、もし御注文の刑法、民法、法理学をあつめようとすれば、三十何冊かをとってその中から集めて綴りなおすということになる次第です。日本評論で分冊を出す気があるのかないのか。いずれ出すのでしょうがいかがしましょう。聖戦短歌集、改造社版と書物展望と二ところから出て居り、改造の方は大部分歌のグループに属しているような専門的教養のある人々の作ですし、書物展望版の方は小さくてもち運びも便利です。一応目をお通しになってと思ってきょう送りました。改造版の方もお送りして見ましょうか。私は昨夜ふと、もしかしたら、お母さんのお心ゆかせにいいかしらとも思いました。けれども、いずれにせよ顛倒した世界でうたわれているのが多いことは、やはり学生の手紙と同じ哀れをそそります。『第八路軍従軍記』と井上の和英中辞典もお送りしました。和英、たけのぶのは大きすぎ、井上のは例えば「イタヅラ」という字をローマ字でひくとすぐ「徒に」の「いたづら」が出て来る、ほかのは悪戯(いたづら)が第一に出る、そういうちがい(日本語感のうちの漢文的要素)がありますが、文例ではやはり井上の方がよく選び出して居ります。だから井上にしました。印刷はどうもよくないけれども。
達ちゃんへのものは明日出来上ります。早く送ってやった方がいいと仰云る心持、私の心持として分ります。
五時すぎ林町へ着。(寿江子と)台所のところを改造中で、大工、国男夫婦どたばたやっているところでした。太郎が大きい料理台の上にのっかって歌をうたったり口笛をふいたりしていて。おそい夕飯がすんで、そのうち太郎が母さんの膝へ栗鼠《りす》のようによじのぼって丸くなって眠ってしまい、その始末をしてからさて、帖面、さてファイルブック、さて受とりともち出して財政審議会。寿江子はこれまであっちへまかせていたのですが、一定額以上兄さんに立て替えをさせ、いくら送れ、というようなことを云い、つかいすぎるというので、あっちでは御機嫌よくないのですし、寿は、寿で、自分のものを自分が使うのに云々というところがあって、必要以上の気持のぶつかりを生じているので、今度はすっかり立ち合って、寿江の使うのはいくら、兄へかえすべきのはいくら等々すっかりやったわけです。寿江子は一番生活能力がないというわけで、父が配慮してやってあったのです。
皆それでもきげんよく協議会を終了。それからお茶をのんで車でかえったのは、お約束の十時をすでにずっと越していた刻限です。昨晩は本当にいい月夜で、遠い家々の赤い灯。建てかけの家の屋根の木片《こば》ぶきだけのところが霜でもおいたように白く月光にぬれ光っていて、目にのこる夜景でした。
かえって、茶の間に入ったら私の場所にお手紙がおいてある。おや、御褒美があった! と云ったら、私が巣鴨へ出たあと程なく来たのですって。寿江子曰ク「よっぽど持ってこうかと思ったけれど、かえっておたのしみの方がいいと思って、どうせ落付かないから」と。ありがとう。大変かたまって届いたのですね。三つもいちどきとは。しかもあの三つは、たっぷりしているものたちだから。「煙突ぶらし奇譚」まで覚えていらしたのは、本当にあの一連りの詩物語が、どんなにまざまざとした詳細を生きているかということですね。これらの其々味い深い小題をもつ詩譚は、一つ一つとあなたのお手紙によって思い出させられ、一層の面白さ、可愛さを増します。
花もお気に入ってうれしいと思います。バラもそちらで開いて満足です。どんなのが行くか分らないのですもの。開き切らずに蕾のバラが行ったとはしゃれている、そして、次第次第に咲きみちたというのは。
梅というのは、紅梅であったのが、初めてわかりました。それも好いこと。私は紅梅がすきです、濃い、こっくりした紅色の梅。だが私はもっとおそくしか咲かないものと思っていたので、この間『文芸』へやった日記の原稿にもうすこしで「寒の紅梅」としそうになったが、まだ咲くまいと思ってただの梅にしてしまいました、おしかったこと
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