トいらっしゃる、それが分っているだけ、なお更そう思います。呉々も呉々もお大事に。今咲枝お医者様からかえり。もう一日二日間がある由です。それがわかって大いに安心しました。一つでも安心出来ることがあって助ります。余り面白い手紙かけないで御免下さい。韜晦《とうかい》したみたいなお喋り出来ない、それはお互の真実ですもの、ねえ。咲枝のおなか一日二日大丈夫とすれば明日は目白にかえります、日比谷から。私たちきりになりたいの、大変に。これも分るでしょう? 私たちきりになりたい心切です、では又あした。

 七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 六[#「六」に「ママ」の注記]月十七日  第六十四信
 金曜日には何とうれしかったでしょう! 栗林さんが、こちらへと云って待合室に来られたとき、思わず「ああうれしい」と申しました。ユリがあのようにして現れること、あなたには思いがけなかったでしょうか、こちらはやっとやっとの思いでした。土、月、水と行って居りましたから。
 体のこと、本当に本当にお大切に。今のところ、本当にお大切に。これまでホン馬性にならず来たことは、あなたのお体としては見つけものでした、そのこと皆心配していたのです。あの一番ひどかったとき、あの手紙にいつか書いて下すったような統一性でおしのぎになったのだから、今回の低下期も、独自の集注でおしのぎになることを、心から信じて居て、そう心配いたしません、つまり気は揉みません。心のどこかで、息を凝しているようなところ勿論ありますけれど、それは自然のことですもの、ね。水の満々とたたえられたものを運ぶような集注、充実、平安で、どうかおしのぎ下さい。
 手紙、どの位まで着いているでしょう。いろいろの用事、比較的順よくすんでいること、おわかりになっているでしょうと思います。慰問袋も二つ、島田への羊カン、多賀子へのイニシアル入りのコンパクト、皆すみました。白地の着物、白麻の肌襦袢なども、土曜早朝送りました。かけぶとんは二十日ごろ出来上りますから、それから。白地のつつ袖のねまきの方、あれは島田で、布地を買って縫ったものですが、あの時分書いた手紙お思い出しになるかしら。あの着物の胴のまわりのあげは、ユリが縫った話。魔女が自分の大切なものをいつまでも自分のところに止めておこうと希うときは、その愛するものの体のまわりに環をかくこと。二つの腕でだって描くのは環ではないの、という話、そんな話、お思い出しになるかしら。もし忘れていらしたら、サラリとしたのをお着になったとき、思い出して下さい。そして、その環へ祝福を与えて頂戴。
 今年の夏は、例年より誰にもしのぎ難く思われるそうです。どういうわけなのかしら。
 ユリも申すまでもなく、実に流汗淋漓ですが、その汗をふきつつ、汗をふいていることもつい忘れるような深い真面目な、感動にみちた朝夕を迎えて居ります。益※[#二の字点、1−2−22]深く深くとあなたに眺め入り、今更精髄にうたれます。そして、今日までの歳月の意味が一層つきぬ味で翫味されます。ここにふくまれているような、精神のきめ濃やかな人間の美を、人間のエリットのもつ壮重な美しさを、どういう芸術によってあらわし得るでしょうか。強壮な正しさが美と一致する極致を一生のうち、実感のうちに経験し得る芸術家は、まさにそのためには十年の生命をちぢめても冥加《みょうが》と思う。ユリは、女としてそして芸術家として、自分の生涯にめぐり来った様々の美しいもの、感動すべきものに、この数年の間新しい宝を見出して来て居ると思って居りますが、この頃は、それらの宝のよって来る鉱脈が塵埃をはねのけておのずから輝き出して来た観があって、実に名状しがたい心持です。よろこびと悲しみとに打ちふるえる。美しさを見るよろこび、美しさへの感歎きわまって悲しみに合致する心。私たちの生命の絃は何と微妙にはられているでしょう! 何と説明しがたい諧調で顫律するでしょう。私たちの生活のうちにはいろいろな愛すべき二重奏《デュエット》がありますけれども、そういう花飾りのような一つ一つの諧調を浮かせつつ流れるものは、耳を傾けつくして、なおつきない脈動のつよい流れです。そこには人間の理智の明るさが透っていて、明確であることからの動かしがたさ、智慧のよろこびがむせんでいる。
 われわれの日常では、ガンコさからの不動性、強情からの不自由というものを何と見すぎていることでしょう。無知や偏狭からの固定を何と見ているでしょう。それが多いために、それが多い程一般の暗愚は深いから、光り、動き、流れ、生々として自身の生命をよろこびつつ、しかも不合理ではあり得ないという精神の自然さが、その自然さというものとしてのみこめない程なのですね。人間が人間の精神の自然から、こんなに遠いというこ
前へ 次へ
全192ページ中125ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング