ィ代りではないあなたに会えもしたのだから。あの節の話、承知しました。そのように計らいましょう。
私は本当に御機嫌はいいのですが、気分はわるいという板挾みの有様です。カゼ。昨夜も八時すぎ床に入ったのですが、どうもはっきりしない、これは、こんなときカゼ引くとぬけないという条件もあるのですが、夏の風はこまること。益※[#二の字点、1−2−22]もって、目がちらついて来るようです。きょうはもう横になってしまおうかしら、思い切って。いくらか仕入れることの出来たこの薬を、大切に二粒ばかり口へふくんで臥てしまおうかしら。臥て、詩集でも眺めていたらこのカゼぬけてしまうかしら。御意見はいかがですか。小さき騎士の逍遙というのをよもうかと思います。すこしものういところのある騎士が、しずかな森の間や泉のほとりをそぞろ歩きしている、その姿はなかなかよく描かれていますから。立派な男の自然の気品、優雅さ、騎士の身にそなわる、それらの美しさをよむのが私は実にすきです。真に男らしい男の優雅さ十分の力や智力が湛えられているところから生じる優美さは、何と深い深い味でしょうね。そこから目をはなせない魅力でしょう。女でそういうだけの優雅の域に達している人はごくまれです。弱さ、しなやかさ、それは或魅力かもしれないけれども、十分足りているみのつまった、力のこもった美とは云えない。男の人間らしいそういう美を表現する可能をもっているのは音楽家ではベートウヴェンです。ワグナアは俗っぽくて、ヌメのようと形容した、かがやきの清らかさは表現し得ない。現代作曲家たちは、知的に肉体的に自身の男性を歪曲されているのが多くて、殆ど問題にならない。私はこの頃心づいておどろいているのですけれど、病気というようなもので肉体が或弱りをあらわすとき、いわば、耀《かが》よい出すという風にややつかれた肉体の上にあやとなって出る精神のつや、微妙な知慧のつやというようなものは、実に見おとすことの出来ない、真の人間らしい一つの花です。深い尊敬と愛とで見られるべき。では、三十日に又。
六月二十六日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月二十六日 第五十六信
さて、ひと息したところで二階へあがって来て、今度はゆっくり私たちのお喋り。小説ね、思ったより手間がかかって、今日送り出したところです。たった二十二枚ですけれども。それから夕飯の仕度して寿江子とたべて、寿江子出かけ。私はひとり実にたのしく、久々の風呂に入り、さっぱりとしたところなのです。もと、「小祝の一家」という小説、覚えていらっしゃるでしょうか。乙女という女主人公覚えていて下さるでしょうか、お菊とも云った。乙女がひろ子という女の生活の視野から去ってしまう前後の一寸した出来ごとと、そのひろ子という女が、小包をひらいて干している毛布に良人の重吉という男の髪の毛を見つけ出して、それをすてることが出来ず一つ一つひろって小さい髪の毛たばを指の間にしっかりともちつつ、晴れわたった初夏の日光の下に立っているときの心持、そういうもののくみあわさった、小さい作品です。ある雑誌のカットを見ていたら、そこに乙女の裸体が描かれている粗描を見出し、それをかいた男が、乙女のなくなった良人である勉の友人の一人ではあったがデカダンスの故にきらっていたその男であるのを見て、ひろ子が非常に切なく感じる、乙女もあるときは善意で生きたそれに対してもくるしく思う、そういう場面もあります。情感的であって、一味貫いたものがある味いですから、サラサラサッと簡単にはかけなかった。小粒ながら、実はつまった小説。そして小さくても書いた味は小説は小説。小説はつくづくすきだと思います。
本月は、間というものがなくてずっと次から次へ仕事がつまっていて、しかも一人三役で、本当に本当に盲腸がなくて何と楽でしょう。きょう女中さんのこと、心がけていてくれたもとの私の先生の女のひと、わざわざことわって来たからと云って知らせに来て下さいました。その女は、田舎のひとで、亭主曰ク「おやが貰えと云ったから貰ったまでで、俺にはとっくから好きな女がほかにある。俺の女房じゃない、親の嫁なんだからそのつもりでいろ。」そして、一ヵ月もしたらほっぽり出して妾のところへ行ってしまった。そしたらその女いたたまらないで東京へ働きに出たのですが、身重になっていることが段々わかって来て、今かえっているのだそうです。毎日泣いています。けれどもどう身のふりかたがきまるか分りません由。籍を、嫁入先の家でかえしてよこさぬ由。親が気に入っているから、と。そういうのもあるのですね、女の境遇は受け身だから、不思議と思うほどのことがよくあります。
女中さんのことは何とかやってゆきますが、七月中旬から折々一日おきの留守がはじまるようになりそうだと思
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