オましたから。
 きょうはすっかり暑く、そちらもむしましょうね。八十度近うございます。
 六日は、岩本のおばさま、山崎のおじさま、野原から富ちゃん親子とがお客で無事御法事終った由、お手紙でした。予定どおり古代餅は中椀にもって出して皆によろこばれたとのことでようございました。あなたにも安心するようにつたえてとのことでした。でも、お客が皆かえってしまったときはしーんとして、その静かさがお心にしみた工合です。別に何ともおっしゃってはありませんけれども。文章のどことなしにそれが感じられました。来年は来るのを待っている、とおかきになっています。
 きょうはまだどことなく落付かない心持です。しかし、今度は冬になって、農繁期が終って、誰かみつかる迄は、こういう状態でやって行かなければならないでしょうから、早くなれてうまくやって行きたいと思って居ります。寿江子は十三日の母の命日が終るまでは東京に居りますが、あのこも緊縮で、夏着るものを林町のミシンで縫っているので、こっちにばかりもいられません。でも、私は昨夜林町へ行って、しんから底からわが家を恋しく思い、わたしたちの生活というものについて、胸の痛いほどの愛着を覚えましたから、淋しささえやっぱり可愛いと思います。そちらでも夕方豆腐屋のラッパの音がするでしょう? そういうとき、あのいつかの絵ですっかりおなじみの間取りの家の中で、コトコトやっているユリを想像して下さい。幅のひろい前かけかけて、それはいつかのように黄色ではなく、紺のですが。
 私たちの生活、そこに流れている心持、それはこの家の隅々に漲っていてね、ここは私たちにとってまごうかたなきわが家です。元とちがって、朝早いから不便もすくないでしょう。窓を青葉に向ってあけ、よく勉強し、仕事をし、あなたのお体を段々とよくして行きましょう。
 いろいろに工夫して生活して、生活の術を会得してゆくのも面白いと思います。そのうちには又誰かいる人も見つかりましょうから。
 本月はね、十五日までまだつづきがいそがしく。伊藤整の作品のブックレビューなどしなければなりません。私はこの作家はこのみません。しかし、判断をもつところまで行かないで読む若い人たちのためには、よくその人々の納得ゆく形で評価のよりどころを与えなければならないから、そういう意味で、しゃんとしたものをかこうと思って居ります。「幽鬼の街」、「幽鬼の村」、それらは現代の知識人の悲しみ、鬼であるのだそうですが、この作者が現実の生活では大陸文学懇話会とかいうところの財務員というのをしているというのも面白い。今日は行為の時代ということが流行《はや》って居りますが、行為の本質という点でそれを見ると、やはり結局はいかに生きるかということと、どういう文学が生れるかということとの関係になり面白いと思います。その点からかいて行くと興味があると思います。
 今、下からは寿江子のかけているラジオでベートウヴェンの「土耳古《トルコ》行進曲」が響いて居ります。どうもこの音というものが。寿江子の音楽に対する理解解釈評価それはなかなか同感されるのですが、音楽と文学とは何とちがうでしょうね。音楽をやる人は、謂わば考えることも感じることもすべて音である、その音が、こっちには同時に同じこと考え感じていたにしろやかましいというのだから困ります。三吾さんの兄さんは、弟に勉強させてやりたいと思ってキーキーをこらえていたそうですが、時には辛棒出来なくなって家をとび出したりしたそうです。三吾さんわるいわね。そんなにして貰ったのに。寿江子は段々しまった気持になって来ていて、今夕も御飯の仕度すっかり自分でしてくれる位になったが、音が果して私にこらえられるかどうか。
 水曜日、徳さん行くでしょうかどうかしら。どんな返事が来るでしょう。私は出立がもっと先になっていて、もっとあとでいいと云ってくれることを切望して居るのですが。
 あのひとが出発するときまったら、御せん別には、岩波のウィットフォーゲルの『支那経済学史』(?)という本、私たちから記念にあげようと思って居ります。文献があげられていてきっとためになるでしょうから。研究の方法をも示しているそうですから。
 きょうは、あっちこっち体動かしてもう迚も眠い。九時半迄にはねてしまおうとほくほくして居ります。今夜は寝ながら仕事について考えないでいいのです。極めてニュアンスにとんだ、賢こさや愛の溢れ出ている一つの笑顔を見ながら、その精神につつまれた感じの中で眠りにつくのがたのしみです。では大変早うございますが、おやすみなさい。

 六月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 六月十一日  第五十信
 すっかり用事をしまって、おやと気付いてびっくりしたのは、盲腸を切った功徳が又一つあらわれていて、台
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