、おろそかならぬものと思われます。私は何年か前から、謂わば大層遠大な志の上に立って島田にはあなたもこうなさるに違いないと思うよう、細々と心をつかって来ましたが、それは、今日の理解や共感に到達するための段階のようなものでもありました。これは、現実的には、お互いっこの効果をもたらしているわけですが。お母さんの側としても、やはり、その段々がおいりになったのですけれども。
ひどい波瀾の世俗の波をかぶりつつ、一家が今日に到って見れば一つも暗くなく、歪んでいず、在り得るのは、結局皆がちっとも斜《はす》っかいになったところのない心持でそれを生き通して来ているからであり、精悍なそしてやさしい美しさがあります。あなたがうちの人たちについて、やさしく常にお考えになるわけね。お父さんとお母さんとについて、変らざるねぎらいをお持ちになっているわけですね、実にわかりました。島田の人々を益※[#二の字点、1−2−22]わかることで、深く気の合うところがあることで、私のましなところが豊かにされてゆく、そういう人間関係はありがたいことね。
隆ちゃんと皆がとった写真、この手紙と同時にお送りいたします。裏へ「弟隆治渡支記念写真」と書きましたから、どうぞ。左のひとは今何という名か一寸思い出せない。あの島田のうちのとなりの馬車をひいている物知り癖のひとの息子さんという人です。横になっていらっしゃるのに、さっぱりしない気温でよくないこと。風の音をきいていらっしゃる、眼が[#「が」に「ママ」の注記]見えます。
五月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(はがき)〕
梅雨のさきぶれのようなお天気です。御気分いかがでしょう。夜着只今出来て来ました。十九日の金曜日に持って参りますから、どうかそちらの方そのようお手配下さい。
私のくたびれ大分直りましたから御安心下さい。手紙は別に。
五月十四日
五月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
五月十三日 第三十九信
大分降ったら空気がかわって楽になりました、すこしつめたくもなって。御気分いかが? きょうのような日は横になっていらしてもしのぎよいでしょうね。すこしずって頂きたいんだけれども。よくて? 窮屈かしら。
さて、静かな声で、ゆっくり私たちは話しましょうね。
きのう一寸お話の出た、お母さんの特別土産の御注文のこと。すぐ私が思いつきませんでした、その程度であったのです、うちでのお話でも。それはもとより珍しく東京に出ていらっしゃるのですから、もしやという希望も万更《まんざら》もたないわけではおありなさらなかったでしょうし、もってかえれるものならば、というぼんやりした願いだっておありになったでしょうが、それが目的とはっきりしていたのではなかったし、それぬきで十二分の御満足です。お手紙もよくそのお気持を現して居ります。それだけ御満足の行くように、又つとめもしたのですもの。だからあなたの此上の御心くばりはいりません。安心なすって大丈夫です。東京迄行ったのにというようなお気持は決して決してありません。やっぱり行ってよかった、元気が出た、そういうありさまですから。
きっと島田からのお手紙がついて今頃は同じことがおわかりになっていると思います。
きのうと今日で「マリイの仕事場」を読み終りました。なかなか面白いし落着いた作品です。パリの女仕立屋の生涯と縫女の様々な生きかたと雰囲気とが、女仕立屋という仕事のひどさと一緒によく描かれて居ます。「光ほのか」これは最後の作らしいが、それよりずっとようございます。しかし訳者はこの小説をいました、でした調で書いて居り、仰云いましたと迄は行かないが、云われましたという風な敬語をつかって、マリイの人柄を出そうとしています。すこしこれが疑問です。甘いと思われる。含蓄というようなものは、人柄の篤さというようなものは、そういう云いまわしにはないと思われますし、原文に敬語がつかわれていたとも思われません。
女のやさしさ、或は心やさしい人というものを、敬語のつかい方で現わそうとするところ、何か今日の雰囲気と合わせて却って俗っぽい。女のひとの作品が、文化のより高い方へという意味で評価されるのではなくて、よりつみがないというようなところより文学専心というような面で見られている現在のありようとも、対応している訳者のジャーナリスティックな神経があるようで。
この小説は、パリのありふれた町のどこかを思い出させます。歩道に向って、下は雑貨屋というようなひろいガラス窓の店。その二階か三階かの羽目に、横長く黒地で金文字の何々裁縫店という看板が出ている。のぼってゆく階段は、下の店の入口とは別の横についていてね。歩道の向う側から見ると、型人形が立っていたり、ミシンを踏んでいる女の肩から上の
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