とき父のくれたインク壺。茶色。
[#ここで字下げ終わり]
 きょう、お母さんからハガキが来ました。二日に面会なさったところ四月九日に第一期の検閲が終って、それからはいつ出動命令がかかるかしれず、発表にはならないが近日かもしれぬ由です。明日御相談いたしますが、私は心配で気がせいて来ました。
 十日一杯まで『中央公論』と『帝大新聞』の原稿があるのです。それをすまして、十二日頃島田へ行こうかと思いますがどうでしょう。そして、早いうちに隆ちゃんに会いとうございます。切迫するとむずかしくなるから。そして、五月六日にもしお母さんの御都合さえよかったら一ヵ月早めの御法事をして頂いて、八日ごろかえろうと思います。
 うちは、ひさが居ますから寿江子と二人で留守して貰います。それ[#「れ」に「ママ」の注記]前にどたばたは出来ないから。そして、寿江子に一週二度ぐらいそちらへ行って用事も伺いするようにして貰いましょう。
 猶、自分でもよく考えあなたにも助け舟願いますが、アパートを見て、大いに一考を要すと考え中です。そちらへ往復の時間だけいくらかつまっても、かえって落付けなければ能率が下ってつまらない。林町と二つに生活の分裂することは研究がいります。一週をわけて、土日月の朝まで林町にいるとしあと火水木金とアパートにいる、そう仮定して、アパートで暮す暮しかたの反動として林町でお客攻めもつらいし又所謂家庭的な雰囲気が恋しすぎるのもこまります。書いているもの、よんでいるもの、あっちこっち動かすのも困る。
 経済的の点から云っての問題とすれば、どんなに倹約してもここの私たちの家にいたいと感じました。直接、衣食住費は大したことないのです、うちは臨時費がかさむのです、いつも。ひさのあと、ひさの友達が来てもいいことになっていて、アパートがやれそうならそれは気が軽くサバサバするだろうと思うが、おめかけさんだの何だのと、女並みのつき合いをして、しなければいにくい空気故、それほどの興味もないところもあり。菊富士はあれでも下宿やでしたから、すこし又ちがっているわけです。なかなかむずかしい。さりとて林町へだけいるならば、やはり私の生活は全く別箇にやらねば、建ちゆきませんし。
 この家、今この家賃で決してもうない。借すものもない。だからうっかりこの家を引はらってしまえない実際です。仕方なく林町へ、というのはいやです。一年に三―四百枚小説をのせることが出来れば経済的にはどうやらなり立つのですから。ほんとに考えてしまう。あっちへいってもこっちへ来ても、生活のパタパタからやっては三日ぐらいいて又あっちというの、本当に考えものに思われます。機械的にそうやらねばならぬものとしてやって見たところで、意味ないし。
    ――○――
 同じ筆者の翻訳でも、訳をする人の文章に対する感覚の敏感さによって何というちがいでしょう、与えるものの。あの本の初めの部分は文庫で、これは名文です、底まで味いをつくして訳しているから全く感動すべき動的な思索の美が流れています。あとの部分は別の人ので、その人は理屈を辿っていて、文章の美まで到っていない、ためにやや晦渋で、活きた美を失っている、残念です、でもつづけて居ますから大丈夫。そちらはこの天候で風邪お大切に、咳出ませんか、明日ね、

 四月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 四月六日  第三十信
 四日づけのお手紙けさ、ありがとう。この頃は起きる方が新聞や郵便の配達より早いことがあります。きょうも。手紙見ておいでよと云って、丁度出がけにうけとりました。
 先ず金原の本。このお手紙のと合わせ(追加注文したから)届けて来たらすぐお送りします。きょう云っていらした小説では、和田の「沃土」と伊藤永之介「鶯」など農民文学の双壁[#「双壁」はママ]ということになって居りますから送りましょう。「鶯」はないから買って。生活派という文学を徳永直の「はたらく一家」が代表している観あり。受けみ反映の典型。
 本のこと。きょうは家へかえっても思い出して、ふき出してしまいました。本当すぎて笑えてしまうということもあります。あれはそれね。私は手紙で、わかるとか、わかったとか盛に書いてくれるが、とお笑いになったように、きっと書きすぎてしまうでしょう。(あなたの仰云ったことは本当としての話です、勿論)きっと、わかるということをわからせたいと心配しているのね、こんなこともつまらないこせつきのようでもあります。今になおります。よむ方が益※[#二の字点、1−2−22]はかどれば、益※[#二の字点、1−2−22]こせこせ、ね一寸見て、一寸見てとうるさい子供式のことはなくなります。
 経済年表はたのんであります。哲学辞典はありますが。経済学史のことありがとう。大部なものの前によんだのに
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