をはがす。そのとき皆が、一寸どうかしらという表情を沈黙のうちに示す。すっかり乾いて居ました。「もうすっかりきれいじゃないか、もういい」そして、私が歩くとき胃の下の方がつれて、すこし胸がわるいようになりますけれどと云ったら、「横づなでしめたらいいでしょうな」すると、外科の婦長をしている大層しっかりものの森田さんという看護婦が「木綿を二つに折ってしっかり巻いておおきになると一ヵ月ぐらいでお馴れなさいますよ、寒いと傷がピリピリ痛いときがありますから真綿でもお当てになってね」とのことでした。では明日かえったらそのようにしましょう。木村先生は制作品にお名残の一|瞥《べつ》を与えて出てゆかれました。
 それからお風呂。あったまって、かえって来て、横になってボーッとしていたら案外早く寿江子がかえって来ました。ひどいひどい風の由。では又きょうも外出初は中止です。一生懸命に喋ってパタリと落ちて、両方で大笑いをなすったって? 本のこと、その他わかりました。ありがとう。それに、私の外出について寿江子は大変監督権を与えられたように得意になって、主観的にいいつもりでも云々だとか、第三者が見て云々だとか、口真似をしました。十五日ごろ出かけたいと言伝《ことづて》させようとしたら十五日は無理よ、無理よ、二十日にしておけと大いに力説したから我が意を得たわけです。それに二十八日のことも通じていたし満足そうにしていました。いろいろ不十分ではあったが、寿江子としてはよく手つだってくれました。彼女としては初めてのことでした。体の方がやはりましになっているので、出来るのだと云っている、それもそうでしょう。先頃は省線で立っていることなどつかれて出来なかったそうですから。
 六日のお手紙は様々の心持、様々の想像される情景がのっていて、くりかえし、くりかえしよみました。隆ちゃんの手紙、全く、一遍よんだだけでは置けない手紙です。私の方へも病気の見舞と挨拶とをかね、同じような勇壮さ同じようなやさしさ、何とも云えぬ素朴さで満ちたいい手紙をくれました。その手紙をよんだとき、あなたの方へもこういう手紙あげたかしら。空が自分の美しい輝きを知らずに輝いているような美しさと、その美しさが環境の表現しかとっていないところ、しかもそれを透して本来の光が見えることなど感動をもって考えていました。なかなか心を動かされました。稲ちゃんが来たので、この手紙一寸見て、とよませた。そんな心持でした。だからお手紙見て、実に同感であったし、こういう気持で愛情を抱いている兄や何かとの生活のつながりということについても浅からぬ思いを抱きました。乗馬隊ですってね。あなたは馬におのりになったそうですが隆ちゃんたちのれるのでしょうか。馬もきっと、あのひとになら優しい動物の心でなつくでしょうね。
 富ちゃん、島田で手つだうこと初耳でした。克子さん、二十五日ごろ御結婚です。よろこんで新生活を待っている手紙が来ました。私たちのお祝は針箱です。いいのが買えましたって。針箱というものは情のこもったもので、妻にも母にも暖いものです、鏡台よりも。そうでしょう? 女が鏡台の前であれこれしているの、面白いが、時に薄情で女の無智から来る主我性や動物性があらわれる。針箱は活動的で一家の清潔の源《みなもと》に近くていいわ。私が大きいギラギラした鏡の好きでないのは、そういうようなあれこれのわけで、あながち、まんまるなのがいつも目に映れば悲しかろうという自分への思いやりではないの。まんまるなのを決して気がひけてはいないのですものね。まして、盲腸征伐の後では!
 京大に入っていらしたときの話。短いなかによく情景が浮き上って、あの部分は短篇のようでした。『白堊紀』の中の短篇が微《かすか》に記憶にのぼりました。漠然雰囲気として。ここの耳鼻は詩人が中耳炎の大手術をうけたから知って居ります。三二年の七月末ごろ、急によばれて行って見たら、もう脳症がおこりかけている。びっくりして十二時ごろ西野先生のお宅へとびこんで行って、入院させて貰って、大手術を受けたが、あの出血のひどかったこと。殆ど死ぬと思った。可哀そうで、私はその頭をかかえて死ぬんじゃないよ、死ぬんじゃないよ、皆で生かそうとしているんだから、と呼んだものでした。
 うちへかえるのはうれしいと思います。ここはうるさいの。物音が。大した重症がないからだそうですが。二十三四日ごろ、それから正月に入って二三日、疲労が出ていたとき物音人声|跫音《あしおと》のやかましさに、熱っぽくなった程でした。病人一人につき二人、ひどいのは三四人健康人がついている。病気を癒すという目的でひきしまっていないで、何か「事」のようにバタバタしている。入院は「大変だ」「其は事だ。」式ですね。うちへかえって又あの静かな静かな昼間があると思う
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