って置いているのです)の壁に原稿紙に書かれた心持のいい字がかかっていて、それは眺めてそこに休まり励まされる感じですが。糸くずを丸めたような消しかたも親愛です。これから送られる写真目にさわると云ってどこかにつくねられてしまわないように。きょうは早く早く八時ごろ(!)眠ります、そして明日は早朝から。ではどうかお元気に、お疲れになったでしょう? そう思います。では、ね。
十一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月二十五日 第一〇九信
夕方、例の「芭蕉」をかき上げて速達へ出しに出かけたら月夜で、うっすり霧がおりていて。野原に霧がおりていて川があって、夜業をしている大工の燃火《たきび》の見える景色など思い出しました。それから、笑っちゃ駄目だよという言葉を思い出し、笑う、うれしくて笑うという笑い、それはどう表現するだろう、うれしくて笑うという笑い。と考えながら歩いて、スマイルやラフという言葉がふさわしいとも思えず、ホホターエットという言葉思い出し、女の場合大変感じがある(農民的ですが)などと考え考え歩きました。
私の「芭蕉」はニヤリとなさりそうですが、「俳諧の道によらず、散文の道によって」(というのは私の文章よ)描き解剖したから、そうひどいものではありませんし、自分の勉強にもなり面白かった。
同時代人としての近松、西鶴、西鶴が同じ談林派から浮世草子へ行った過程、近松の芸術と西鶴の芸術との間で芭蕉が己の道をどうつけて行ったか。芭蕉の哲学は月並であるが、彼の象徴の形象性が独特であり、日本の感覚であること、枯淡というのが通説だが、芸術家としての彼のねばりのきつかった工合、その他にふれて「この道に古人なし」と云った彼の言葉によって、この頃の妙な古典ありがたやへの一針となしたわけです。只の鑑賞批評をする柄でもありませんから。日本人が今日に日本人としての心を見出し得ないこと、そこに確信をもち得ないこと、そんなことがあってしかるべきではないのですから。
きょう書いて下さる手紙、いつ着くのでしょうね。早く 来い、来い。
今夜から小説です。これからこねはじめ。『新潮』へかいたものの続篇をなすものですが。時間と心理の発展の点で。
小説が出来るということと、つくるということのちがいも、いろいろ面白く考えられます。出来るのが自然、つくるのが作為と分けられるう
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