B徳川時代の文学のゲラゲラ笑い、その系列が、感情生活の中にのこっているのね。
『新潮』の正月号の小説はごく短いものですが十一月十日で〆切ります。早いのね。いろんなひとが書くらしい様子です。ズラリと並べるのでしょう。例によって『文芸』のを月のうちにかいて、あと小説をかきます。私はどしどし小説をかきます。なるたけどっさりかきます。そして、小説の世界にひき入れられることで、人々が毎日生きているよりもっとひろくて深い人生へ導かれるようなそういう小説をかきたいと思います。小説の世界にだけとじこもっているような小説、私本当にきらいです。この頃、このきらいさが益※[#二の字点、1−2−22]はげしくなって。そのためには益※[#二の字点、1−2−22]小説が、文学のリアリティーとしてつよめられなければならないわけですから。人間精神のよさは道義というもの以上であるし。
 只今もっている書きものはね、感想風のもの三つ(小さなもの)、若い女のひとのためのもの一つ、それから『文芸』20[#「20」は縦中横]枚ほど、小説20[#「20」は縦中横]枚ほど。きっと全体印刷に手間がかかるようになったから、十一月、十二月はたたまって来るのでしょう。
 机の上に十七日に寿江子がもって来てくれた紅白のガーベラの花があり、茶の間のタンスの上には、原さんが家の近所からわざわざ切らせてくれたダリアの大きい見事な花が満々とあります。黄菊が(私の買った)マジョリカの大きい壺にささって、これは茶ダンスの上に。
 珍しく三夫婦そろいました。てっちゃんと。三組の夫妻が揃うということはなかなかないのよ。これまで。芝居の方はなかなかはぐれていたのです。いろんな話で賑やかですが、しみじみ思ったことは、みんなそれぞれの暮しが大変なのね。マア一番栄さんのところが波が平らというわけで(サラリーマン故)あとは小さな舟が上ったり下ったりという工合です。だから、どこかこんごのことに気をとられているところがあって、それも新しい、本年の印象でした。
 てっちゃんの奥さんはかえって来た由で、結構です。ニャーニャとさし向いというのが三ヵ月つづいたわけで人相が変っていたから。よかったことね。経過もいいそうですから。子供が、一日は父さんをひとみしりした由。太郎には話の中で、度々アッコおばちゃんのおじちゃんが出てわかっているのですが、会ったらきっとは
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