しまい。呉々も御元気に。
一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 慶応大学病院より(封書)〕
一月二日 第二信
きょうから雨か雪という天気予報でしたが、今は空が晴れて、僅かな白雲が東の方に見えます。きょうは、午前十時頃、初めて入浴しました、実にいい心持。傷口は軟膏と絆創膏を貼って。しかも、これは私があぶながってむき出しではこわがるので、おまじないのようにつけてくれたものの由です。むき出しで入浴してもういいのですって。
出て来てから一時間ばかり眠り、先生が見えて、手当をするとき鏡をとって眺めたら、おなかのよこに薄赤く十字がついていて、[#図2、「十」の下に小さい「○」の絵]この下のところにごく小さい穴が見えました。それは表面だけでもう深さはないとのこと。黄色い薬のついたガーゼをあててバンソー膏をつけて上から湿布してあるだけです。熱は朝五・九。入浴直後六・八、午《ひる》は六・一分です。順調でしょう? いそぐならもう程なくかえってよい由、あとから通えば。私は傷の小さい穴がすっかりふさがって、毎日湿布をしたりしなくてよくなる迄いるつもりです。目白から省線で立ったりして通って来るのはいやだから。それにしてももう僅かのことでしょう。多分もう一週間以内だろうと思います。午後は大体ずっと椅子におきて居ります。両足の踵と左脚のふくらはぎとが、体の不自由だったとき何か筋の無理をしていたと見え、しこってしこってひどくくたびれているだけで、歩くのも傷のところがつれる感じはごく微かです。これがすっかり直って、すっかり軽くなったらどんないい心持でしょう。どんなに軽々といい心持だろうと思うと、私は一つの夜の光景を何故か思い出します、屡※[#二の字点、1−2−22]《しばしば》思い出します。茶色の外套をきてベレーをかぶって、夜の道を急に崖下に家の見えるような坂道にかかったときのことを。すべりそうでこわかったとき、つかまっていいよと云われたときのことを。すこし勢がついて足が迅《はや》まると崖から屋根屋根をとび越してゆきそうな気がしたときのことを。不思議にこわくて、不思議にうれしかったときのことを。
ふらふら読書の道すがらアメリア・イヤハートの「最後の飛行」をよみました。一九三二年頃単独で大西洋横断飛行をしたり、多くの輝かしいレコードをつくっていた彼女が太平洋を横切って世界一周飛行の途中、ニュ
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