u幽鬼の村」、それらは現代の知識人の悲しみ、鬼であるのだそうですが、この作者が現実の生活では大陸文学懇話会とかいうところの財務員というのをしているというのも面白い。今日は行為の時代ということが流行《はや》って居りますが、行為の本質という点でそれを見ると、やはり結局はいかに生きるかということと、どういう文学が生れるかということとの関係になり面白いと思います。その点からかいて行くと興味があると思います。
今、下からは寿江子のかけているラジオでベートウヴェンの「土耳古《トルコ》行進曲」が響いて居ります。どうもこの音というものが。寿江子の音楽に対する理解解釈評価それはなかなか同感されるのですが、音楽と文学とは何とちがうでしょうね。音楽をやる人は、謂わば考えることも感じることもすべて音である、その音が、こっちには同時に同じこと考え感じていたにしろやかましいというのだから困ります。三吾さんの兄さんは、弟に勉強させてやりたいと思ってキーキーをこらえていたそうですが、時には辛棒出来なくなって家をとび出したりしたそうです。三吾さんわるいわね。そんなにして貰ったのに。寿江子は段々しまった気持になって来ていて、今夕も御飯の仕度すっかり自分でしてくれる位になったが、音が果して私にこらえられるかどうか。
水曜日、徳さん行くでしょうかどうかしら。どんな返事が来るでしょう。私は出立がもっと先になっていて、もっとあとでいいと云ってくれることを切望して居るのですが。
あのひとが出発するときまったら、御せん別には、岩波のウィットフォーゲルの『支那経済学史』(?)という本、私たちから記念にあげようと思って居ります。文献があげられていてきっとためになるでしょうから。研究の方法をも示しているそうですから。
きょうは、あっちこっち体動かしてもう迚も眠い。九時半迄にはねてしまおうとほくほくして居ります。今夜は寝ながら仕事について考えないでいいのです。極めてニュアンスにとんだ、賢こさや愛の溢れ出ている一つの笑顔を見ながら、その精神につつまれた感じの中で眠りにつくのがたのしみです。では大変早うございますが、おやすみなさい。
六月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十一日 第五十信
すっかり用事をしまって、おやと気付いてびっくりしたのは、盲腸を切った功徳が又一つあらわれていて、台
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