、二軒ばかりできいたが。空いている家かと思ってきいたとき。空巣では私たちも笑う思い出がありますね。動坂の家で。あなたの大島だけぜひ出させろと私がねじこんだというようなゴシップつきの。そして、その一味の婆さんが一緒に弁当をたべるとき、きっと私に向っていただきます、とあいさつをしたという世にも滑稽な話。滑稽でも空巣とのそういうようなめぐり合いは恐縮です。
 さて、一月中の表を思い出してつける、これはほんとの大体で今これをかくというのも気がさすようなものですが。手帖を見ると、成程一月に入ってからは計温書いていないで、二十九日ごろから又つけて居ります。
 ○一月一日から退院する一月十日まで。朝七時半。消燈九・三〇。熱は平均朝五・九ぐらいから六・二三分(六分どまり)でした。
 ○退院後は、朝さむいし、起ききりにならず暮したので、朝九時ごろ夜は十時ごろ消燈していたと思います。熱はもういいことにして頂こうと思ってとらず。
 十七日、初めて面会に出かけました。二十一日にゆき、二十三日にゆき、二十七日にゆき、三十一日に行って居りますね。十七日ごろからもう昼間床につくことはしなくなっていたと思います。それでも朝は床の中にぐずついていた。やっぱり九時前後でしたろう。宵っぱりをしていたとも思わない。二十九日六・三、三十日六・四、三十一日六であった。手帖にそう書いてある。二月一日からは気をつけてつけてあり起床についても平常に復しかけて居ります。
 ○これからは朝を七時にくり上げ、追々又六時に戻しましょう。この朝おき宵ねについてはまことに遅々たる有様ですが、昨今では、夜おそくなるのは段々実際上困るようになって来ているから、これでもあなたの勘忍袋の効果はあらわれているわけです。初めのうちは正直な話、ほんとうに誰のためにやっているのかとあなたに大笑いされそうにやっとこやっとこであったが。私だって、きっとひどいお婆さんになれば宵ねがすきで寝ていたくても寝ていられないと朝おきるのだろうと思うと可笑しい。そっちだけ大婆さんになる法はないでしょうか。
 ああ、この間白揚社からブックレビューをしてくれと云ってバッハオーフェンの母権論という本を送ってよこしました。どこかの先生で坊さんらしい人が翻訳しているのです。母権論の序文を。長い訳者序をつけて。神代の神話にからめ、女は働いていさえすれば隷属はないというよう
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