狽フ中に溶け切らなかったし、又、現実の諸条件が歴史的にもその可能を十分発揮していなかったのでもある。かくて、ひろがり、高まりつつ一つの核をもった形で、複雑なくみ合い工合で、波瀾に面した。
生活の諸事情は実に急激に推移して、文学についての考えかた、リアリズムとは何か、ということが考え直されるようになった時代から、複数的私は最も質のよくない分裂をはじめ、その現象は次のことを深く感じさせた。これまでの複数の形は、一つ一つの我が箇人的成長の頂点までギリギリつめよった揚句での飛躍ではなかったこと。寧ろ一つ一つとって見ればしいな[#「しいな」に傍点]であって十分の結実はしていないこと。文学に即して云えば将来事情によっては文学的才能を発揮し得る力を包蔵しているというのではなく、却って、そいう内から破ってゆく独創的な力、新鮮な生活力が多くないために、一つの磁石に鉄屑が吸いよせられるような工合であったこと。しかしながら、日本の文学というひろい面で見れば、或年以後の日本文学史は、動かすべからざる一つの新しい力によって、要求によって貫かれて居り、文学の方向としてそれの正当さは益※[#二の字点、1−2−22]つよく理解される。一人一人が作家としてしいなであるということに一層明かに文化の土壌というものが反映しているのであるから。
狭い誰彼の身ぶりに向って注がれていた眼は、追々それをはなれて、文学の面での諸問題、生活的な面での諸問題の究明への方向をとり、同時に、云って見れば一般の文学的理論的語彙さえ当時にあってはドンドン変って行って、技術上の練達が益※[#二の字点、1−2−22]要求されたため、自身の文学的蓄積の効果は嘗てない程度に有要であった。自分はそれらのものをよく活用して、健全な生活と文学との有機的関係を自身の生活そのもので語ってゆき、書いて行かなければならないと思った。それは自分の一つの義務であると感じた。何故ならば、自分が真に発展的一歩を与えられた文学の時代は、所謂批判を歪んだ利害によって蒙って居り、而も箇人的な諸条件から、生活的に文学的に自身が其に属すれば、一部の低俗な生活、文学の常識は、文学と生活とを貫く健全性そのものの否定的実例として自分をあげるにきまっている。自分より低くとんだ鷲を鶏は笑う。笑う鶏が問題ではない。笑う鶏と笑われる鷲とのいきさつを、秘かな良心の鼓動を感じつつ
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