フためでなく私のところへ来るというようなこともない。そんな工合です。日常生活では、まぜこぜ風の、長屋風の親しさでない。それぞれに一城一廓をかまえている。
知人と云い得る範囲の中で、比較的近い人々には幾組かの若い夫婦、働いている女のひと(元から知っている人、そうでない人も入れて)健造が小さかったとき、キングコングをして遊んだ戸台の俊一さん等(池さんその他あの一かたまり等)この知人の関係は、Tさんが数日の滞在の間にびっくりしていたが、身の上相談(勉強のことその他)が多いことになってしまう。
てっちゃん、徳さん、さあ、これはどのカテゴリーかしら。例外の部ですね。そちらへ頻りに行ってくれるが、こっちへは滅多に姿を見せぬてっちゃん。徳さんは折々よって、今日は元気そうだったとか、やっぱり下痢はやせる、などと云ってくれるが、親しい部にすぐ入らないのは、出て来てまだ十分落付いていず、考えかたが、ちょいちょいどっかに走っていて、よく納得出来ないところがあるから。勿論親切で、くさってはいないが。
数年間の風雪は、弱いかたまりを粉々にふきちらしてしまっているから、偶然何かの会で顔を合わせれば口をきくという程度が、徳直その他。而も、その偶然たるや全く稀です。
文壇的喫茶店での社交風のものは、御承知の如く全然昔から私の生活にない。大体私は社交というものはきらいですね。親類だって。(事がなければ集らないし)
私が自分から出かけるところと云ったら、何と少いでしょう! 林町(これも折々)、あと栄さん、戸塚。ごくたまに重治さん。
私のように若年のときから、いきなり仕事で世の中に出て行って、様々の箇人関係を通してのし上って来たのでない人間は、而もその分野でその分野の社交に順応しなかったものは、知っているような人はうんと多いが、つき合う範囲は狭いという現象になるのですね。よかれあしかれ、自分の肩をもって何か云ってくれる人間というようなものをもっていない。そんな先輩もいない。身ぐるみ、世の中に突き出ていて、そういう生き方の価値で、数人の友と、私の知らない、而もその辺に満ちている読者、自分に対して抱かれていると感じ、それに対して責任を感じている信頼が生じているわけです。
『東日』や『朝日』『婦人公論』、そういうところが、それぞれ婦人の諸分野での活動家をあつめてグループをこしらえている。そのどれに
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